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第1次から第4次まで自家焙煎店開業の変遷と予測-1 

2019年5月2日

1990年代は、東京23区からどんどん喫茶店がなくなり、1996年のスターバックス進出と合わせコーヒーショップチェーンの隆盛の時代を迎えることになりました。それは、バブル崩壊の時期と重なり、個人が起業することが難しかった時代でした。東京23区に、喫茶店の開店がほとんど見られなかった時代です。少し異常でした。


この状況を目撃した、一部のコーヒー好きは自家焙煎店(店に焙煎機を設置し自ら焙煎する業態)へ向かいました。
開店数は少なかったものの新しい業態として区別され始めたといえるでしょう(雑誌「コーヒーと文化」には、この時代のことを書いたものが残っているはずです)。


もちろんそれ以前にも自家焙煎店はありました。しかし、新しい店は、「コーヒー豆の販売で家庭用の市場を開拓」しようとする方向性もみられ、それまでの「喫茶のコーヒーのための焙煎」という業態とは差別化された店でした。開店数は少ないながらもここまでの時代を「第1次自家焙煎ブーム」と位置づけることができるでしょう。


2000年に入っても、日本経済の低迷は続き、年功序列の崩壊、リストラなどが続きました。企業に定年までいられないという労働環境の変化は、逆に「自分で何かやってもいいんだ」という起業への新しい価値観を生み出しました。

さらには、経済の停滞と同時に、店舗物件が出てくるようになり、それらの保証金は従来の三分の一以下となり、また家賃も安くなりました。さらには金融緩和により、借り入れもしやすい状況も生まれ、起業がしやすい環境は整ったといえます。


喫茶店の衰退を目撃した30~40代の女性たちは従来の喫茶とは異なる食事をベースにした新しい「カフェ」(食の売り上げ比率が50%以上)という業態を生み出していきました。


2003年までのカフェブームの勢いはすざましく、メディアの取り上げ方の異常さは尋常ではありませんでした。


2004年ごろからこのブームに目を付けた企業が新たに参入し、個人店と資金力のある企業店との競合も生まれ、カフェの撤退も目立つようになり、参入と撤退が繰り返された時代でした。

「カフェの賞味期限は3年」というような言葉さえ生まれました。

この状況は2010年代まで継続しています。



しかし、幾多の先達の閉店という犠牲の歴史を経て、カフェという業態は若い女性に認知され、「カフェ文化」というようなものを生み出しています。2005年当時16歳の高校生は、2015年26歳になったときにカフェは当たり前にある存在となったわけです。趣味はカフェ巡りという女性も多くみられます。


他方、この時期はスペシャルティコーヒー(SP)ムーブメントの萌芽にあり、家庭用市場に特化した自家焙煎店が誕生していきます。主には資金力のある40代前後以上の男性が牽引しました。2000年代のSPへの関心は強く、私は多くのセミナーを開催し2000年代の10年間で約100店の開業のお手伝いをしました。



米国のサードウェーブより5~10年早い日本の新しいウェーブだったと思います。この時期を「第2次自家焙煎店ブーム」といってよいでしょう。


しかし、カフェ同様経営は簡単ではなく、自家焙煎店は、豆の販売をメインに小さな喫茶スペース持つことで継続し、家庭市場の拡大とともにその後の成長へと向かいました。ただし、当然のことですがすべてがうまくいくわけではなく、成功する店と細々と継続している店に2極化しています。



2000年代の初めから2015年まで、私は朝日カルチャーセンターで「小さな喫茶・カフェの作り方」という講座を行っていました。その内容は、安易に開業を促す開業本やロマンをかきたてる雑誌とは異なり、「経営の厳しさ」を伝えるもので、起業の再考を促す内容でした。このセミナーの受講生は1000人近くになりますが、起業をあきらめた人は多かったでしょう。


2000年代における100店を超える自家焙煎店に対する起業支援は、優れたSPの生豆調達にありました。当時生豆取引は1コンテナ単位(250-300 袋/1袋60kg)でしたので、これだけの量の高額なSPを使用できる会社は日本国内にはほぼありませんでした。そこで、開業支援からLCFというグループ形成をし、全体の使用量を増やし、購買力をつけたわけです。現在は、SP生豆の購入バイヤーとしての地位を確立しています。

続く

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