パパ日記

自家焙煎店

昨日の取材は創業時の話でした。
実はこのあたりが一番面白く、開業者には参考になるのですが聞かれることもなくあまり話す機会もありませんでした。

 

 

さて、喫茶マーケットも全盛期から多様化し、今ではコーヒー専門店というジャンルさえ分からない方も増えています。焙煎機を店内に設置している店は、自家焙煎店と昔からよく言われますが定義はあいまいです。
このあたりは10年前の2000年の前半に「コーヒーと文化」にそのその定義や変遷や予測などについて何度か書いていますが、いまだにこの言葉が独り歩きし、実態を反映していない面が多くあります。

 

 

自家焙煎という言葉の使用はいつからかは定かではありません。
自家焙煎店は、自店の中に焙煎機を設置し、自店の喫茶のコーヒーを焙煎する「自家焙煎喫茶」としてスタートしています。多くは喫茶店ブームの中でより良いコーヒーとか新鮮なコーヒーを提供するための差別化の方法で生まれたと思います。
また喫茶店が衰退していく中で、新たな売り上げの核として家庭向けのコーヒー豆販売の開拓を目的として誕生したビーンズショップとはスタート段階における目的には違いがあったと思います。

 

 

しかし、自家焙煎店もビーンズショップも自店の中に焙煎機を設置して焙煎を行う形態であり、ビーンズショップも喫茶を併設することも多く、又コーヒー豆の家庭需要が拡大する中で自家焙煎店も家庭用に豆を販売するようになり、その垣根は曖昧となっていきます。
そのため、今でもどのような言葉を使用すればいいのかは漠然としています。

 

 

米国で店内に焙煎機を置く店などは、個人的には挽き売り店という認識でビーンズショップといった方がいいと感じていました。
古くは、ニューヨークのポートリコ、マクナリティやサンフランシスコのパーフェクトレシピ、ロスのコーヒービ―ンなど3~4名くらいで営業している老舗の伝統的な店がありました。
しかし、伝統的な店が多いNYは、フレーバーコーヒーやデカフェの愛好者も多く、1990年以降のシアトルのコーヒーブームとは異なるマーケットであった印象です。
ニューヨークのデューン&デリカなどが、対面販売をし高級化路線に進んだくらいでしょうか・。2000年以降もスペシャルティコーヒームーブメントからも次第に取り残されたと思います。

 

 

サンフランシスコでは、ピーツコーヒーが高品質豆をリードし、その影響を受けたスターバックスが1971年にシアトルで創業され、急速に発展します。
1990年までにシアトルコーヒーブームを生み、その後焙煎機を店内に設置する店も生まれてきます。
これらが1990年初め頃の開業となるシアトルズベスト、タリーズへとつながっていきます。また、シアトルでは1988年にはヴィバーチェ,それ以前にカフェヴィータなどイタリア系の店も生まれています。これらの店は、米国では規模の大きなロースター(焙煎販売業)とは区分されマイクロロースターと呼ばれるようになります。
今では、 ポートランドには50店程度のマイクロロースターがあり、サンフランシスコには、ブルーボトルに影響を受けたサイトグラスなど多くのマイクロロースターが誕生しています。

 

 

他方、ヨーロッパでは、自店で焙煎する店はローマのタッツア・ドーロ、パリのベルレ等少なく、私の開業時には中小ロースターの群雄割拠の時代だったと思います。

 


私の開業前及び開業直後は、自分のコーヒー豆の品質を比較してみるため海外の老舗の豆を多くチェックしました。
もちろん日本の良質と言われたコーヒー会社および自家焙煎店の豆の大部分はチェックしています。何がいいのかは当時素人であった私には十分な理解はできない状態でしたが、もっといいものがあるであろうという嗅覚は備えていました。

 

 

この時期、世界的に見ても原材料である生豆への品質の理解度は低く、コーヒーの本質的なおいしさへの探求の扉は、2000年前後のスペシャルティコーヒーの革命的なムーブメントによりこじ開けられます。
堀口珈琲はこのムーブメントの真ん中にいたわけです。
トリッシュさんは、この時期の新しい時代の萌芽を感じ取り、2002年にサードウエーブという言葉を使用したのだと思います。

 

 

そのような中、堀口珈琲は1990年にビーンズショップとして開業しました。
しかし、1990年から2000年までの10年間は生豆の品質と香味に対する不満の時代でした。


続く