パパ日記

ビストロ創生期

日本で予約の取れないレストランはいくつかありますが、最近ではキャンセルが発生するとメールで連絡がきます。但し、当日や翌日の空席であまりに急であることが多く、連れ合いの確保も必要で簡単に行くことはできません。

 

 

 

世界一予約の取れないといわれたスペインの「エル・ブジ」はすでに閉店しました。
とにかくおいしさよりも衝撃を優先したかのようでしたので表現が限界地点に到達してしまったのかもしれません。この店の出現は料理界では大きな転換期で、そのあとを継いだかのようにデンマークの「ノーマ」が脚光を浴びました。食べてみたいのですが、写真集で我慢しています。西洋絵画でいえば、印象派からいきなりダダイズムに行ったような飛躍です。

 

 

この2つのレストランの後に、「世界ベストレストラン50」の1位になったのは、2015年はスペインの「エル・セル・デ・カン・ロカ」、そして2016年はイタリアモデナの「オステリア・フランチェスカーナ」で、料理はモダンアートとして昇華されつつある印象です。日本の「NARISAWA」さんは8位にランクされ、日本及び西洋料理の枠を大きく超え、新しい料理の表現領域に入っていることを示唆します。また先日のアジア50レストランでは、第1位になっています。

 

 

 

日本における街場のレストランのフレンチは40年の歴史の中で、今輝きを放っていると感じます。他方、伝統的というか、古典的といえばよいのか、20年前まではまだ生き延びていたスタンダードな料理は、影をひそめました。牛の赤ワイン煮、ニソワーズなどはどこにでもありますが、ブータンノワールなどのソーセージやダブリエドサブー(牛の胃袋のあげたものあ)などの内臓系の料理はまれに見かける程度、脳みそや髄などは狂牛病以降見なくなりました。又、フランス人の大好きなクスクスなどは食べることができるところは少ない印象です。単純なスズキの網焼き、エスカルゴのクリームソース煮なども見なくなりました。

 

 

 

逆に言えば、日本でもフランス料理は細分化され、ビストロとレストランの料理の違いが明確になり、進化しているのでしょう。食の構成も前菜、メインという基本的な構成から、5皿~10皿と料理の幅で表現する方向も多く見られるようになりました。

 

 

 

「コートドール」さんなどでは、一皿の量の多さから、2人で一皿とシェアする顧客も見かけます。そうすると2人で1人前で完結してしまいますので、本来の形からはずれてきているといわざるを得ません。このようなことは、日本のトップレベルのフレンチでさえ見かける光景です。
シェアしたいという気持ちはわかりますが、場所によっては好ましい光景とはいえないでしょう。
このような時代の変化の過程で、その料理の提供のしかたは少量多種のコースメニューに移行してきています。

 

 

私がフレンチを食べ始めたのは、昭和51年(1976年)でサラリーマンになり5年目からです。
当時はホテルの料理は、素材の味よりもソースで味付けた古典的フレンチでした。
それらは、ドゥミグラス(フォンドボーにマデラ種などで煮詰めた)、オランデース(卵黄とバター)、ベシャメル、私の大好きなアメリケーヌ(甲殻類の殻やみそを炒め、ブランデー、魚のダシなどで煮詰める)、などソースの時代を反映した料理でした。

 

この当時は、街場にレストランと呼べるような店はなく、ビストロの創生期でした。ここから日本のフレンチは発展していきます。

 

 

 

当時の大卒の初任給は6万程度?でしたので、(私の初任給は4万)当方の給料もまだ安く.1回1万円のレストラン出費は月に1回に限られました。スーツも今のように安いものはなく最低3万円はしましたので買うと生活できない状態でした。(今の価格でいうと10万以上の感覚でしょう)現在は衣類も食事もものすごく安くなりました。
(この安いということには、消費者にとって歓迎すべき点もありますが、反面どこかにそのしわ寄せや問題をはらんでいる可能性を意味しますが……..。)

 

 

 

何でこんなことを書いているかというと、昔の領収書の一部が出てきたからです。
40年もたつと資料としての価値が出てきますね。
明細を見てみるとワインを控えて一人1万円弱くらいに費用を抑えていたのがわかります。

20170227_114706

 

当時はワインの流通も少なく、白ワインのシャブリあたりが高級品でしたので今から思うと隔世の感があります。
また、ワインもきちんとしたテースティングは確立されていなかった時代です。そもそも日本によいワインが流通していたとは思えませんし、又流通していたとしても今思えば状態がよいとはいえなかったとも思います。

 

 

しかし、それでも40年前に一人あたり8.000円くらいは出費していますから、現在のフレンチと価格が変わりないともいえます。当時喫茶店のコーヒーは200円程度だったでしょうから、当時としては料理の価格はかなり高い金額でした。したがって個人の食通よりも接待も多かった時代とも思います。

 

 

 

初めて選んだ店は、フレンチではなく、六本木のスエーデンセンター地下の「レストランストックホルム」のスモーガスボード(バイキングの正式名)でした。
現在は赤坂に移転していますが、当時の面影はかなり薄れています。
ニシンから始め、冷たい前菜、温かい前菜とたべすすむとかなりのボリュームがあり、ホテルのバイキングとは質、量共に大きな差がありました。この後から、ビストロ食べ歩きが始まり、今に至っています。

 

 

西麻布の「フィガロ」は記念すべき初めてのフレンチで、いまだにウズラの味を覚えています。ウズラって食えるのか?のような世界でした。「レストラン・プロバンス」、こんなにでかいスズキ、、、「ビストロ・デ・ラ・シテ」西麻布のビストロ創生期を代表する店、、、「ビストロサンノー」赤坂のビストロの元祖のような店、、、「イルドフランス」青山の旧ドンクの地下にあった、、、、「ムスタッシュ」など、今は亡きなつかしい幻の名前が領収書から出てきます。
このころは、少し背伸びをしつつ日本のフレンチの歴史の創生期に立ち会いました。
当たり前でしょうが、40年前と比べると、現在は食材の差、料理やワインの質は驚くべき進化を遂げています。レストランの数もあまりに多く、東京は世界屈指の美食の都といえるかもしれません。
52.07.18 シャドネー      19.320

52.06.23 ビストロ・ムスタッシュ   13.640

52.03.24 LIE de FRANCE 17.160

52.0125 BISTROT DeLA CITE  12.780

51.08.12 レストラン PROVENCE 14.160

51.07.02 FIGARO     15.660

51.06.00 ビストロ サンノー   10.890

51.04.28 STOKHOLM   16.320

月に1回くらいのペースで食べていましたが、領収書の日付がわからないもの、読めないものも多くありましたのではぶきました。(2人での料金)

 

 

しかし、バブルの崩壊、リーマンショックを経て育ってきた世代の一部は、….. 続く