パパ日記

地産地消とオーベルジュ

ファーストフードの利便性に対し、食育の必要性は増しています。
1980年代からのイタリアのスローフード運動は、郷土料理の復興のための地産地消、生産者保護、子供に本物の味を伝えることで、自国の食文化を守る運動として活動が顕著になり、世界中に影響を与えました。
パルマの生ハムやパルミジャーノなど有名です。
我が家では、必須アイテムです。

 

 

イタリア人はコーヒーに対してもうるさく(うるさいだけで味はよくわかっていない場合が多いですが…)、ローマではBARは半径500m以内に多くあります。もちろん営業権があり出店に制約があります。
今はわかりませんが、よくイタリアに行っていた時期は、外国人がBARを作ることはできませんでした。
ローマのバリスタは男性の仕事でしたが、最近はエアポートなどを中心に女性も見かけます。
又、多くのBARで使用されている豆は様々な焙煎会社のもので10店回っても同じものがないくらいでイタリア全土の中小焙煎業のものが多かったと記憶しています。
但し、今は日本と同じように寡占化の方向にあり、ラバッツアやイリのシェアが拡大しています。
これらはイタリアの国内に限ったことではなく、ユーロ圏のフランスや北欧でもラバッツアのコーヒーをよく見かけます。そのため北欧のSCAEの焙煎業者が、バリスタ選手権を開催したのもシェア確保の一面もありました。

 

 

またイタリアにおける焙煎度合いもミディアム程度のものが多く、深くてもせいぜいシティくらいでしょうか。
最近はローマにもイリの直営ショップなどもでき様変わりしました。
20年前には、ローマのコーヒーはロブスタ主体でアラビカ100%のイリのコーヒーを使用する店はほとんどなかったのですから、保守的なイタリア人の嗜好も変化したように感じます。

 

 

話しがずれましたが、日本の食育は服部さんやシェフでは三国さんが早くから取り組み、様々な側面から食文化について活動をしています。私の所属している食品科学研究室の教授も、学生とともに近隣小学校での味噌つくりなどの食育関連授業を行っています。

 

 

また地産地消は、山形県鶴岡のイタリアン「アル・ケッチャーノ」の奥田シェフが有名です。
初期は農家の野菜ををすべて買い取るようなところからスタートし、私が行ったときは飼っているヤギのモッツレラチーズなどもありました。奥田さんの東京店は、東京銀座の「山形サンタンデル」があり、食べたことのない野菜が多種、庄内の魚も出てきます。山形産のワインや堀口珈琲も飲むことができます。
三國さんの「マルノウチ」では、かなり前から東京野菜を使用し、最近はかなりの種類の野菜を扱っています。世田谷は、大蔵大根が有名ですよ。
残念ながら三国さんはあまりコーヒーには関心がないようです。

 

 

 

今では地産地消をうたうオーベルジュ(食を楽しむための宿泊施設もあるレストラン)も多くあります。
その道筋を作ったのが勝又さんです。
箱根の「オー・ミラドー」は、1986年開業で日本最初のオーベルジュで、オーナーシェフの勝又さんは「ビストロ・デラ・シテ」の後、六本木で「オー・シザーブル」でシェフをし、その後移住しました。
宿泊施設が増築されるほどの支持を得ています。
箱根での初期の料理は、ベーシックなフレンチでしたが、徐々に地元の食材を多用することにより料理の幅が広がっていったように思います。

 

 

 

日本のビストロの草分けの「オー・シザーブル」は、幾多のシェフを輩出しています
まず内臓料理の大御所である銀座5丁目「マノアールダスティン」の五十嵐さんがいます。
私はこのレストランで、フランスの脳みそや髄などの料理を食べましたが、もはやそのような料理は食べることはできません。
五十嵐さんとの付き合いは青山の「アンフォール」時代からですので、もう20年近くになるでしょうか?
長いですね。アンフォールは、アミューズにブータンノワールが出ました。

 

 

恵比寿と広尾の中間の明治通り沿いの「アラジン」の川崎さんも出身者で、ジビエも得意な方で、血のソースのカモを食べました。強烈なインパクトを受けたのを覚えています。
当時はニューオータニにある「トゥール・ジャルダン」くらいしでしか食べることができませんでした。
(尚、アラジンと同じビルに原田さんのイタリアン「アロマフレスカ」がありました。移転していますが。)

 

 

 

六本木「ブルギニオン」の菊池さんは「オー・シザーブル」のあとに五十嵐さんの「アンフォール」で働き、独立しています。「アンフォール」時代に知り合い、何度か「ブルギニオン」に食事に行きましたがもう10年お邪魔していません。ラバッツアのコーヒーとブルゴーニュワイン好きのシェフです。

 
ブルゴーニュ好きのシェフで思い出しましたが、先日世田谷通り上町付近にあるフレンチ「しらとり」さんの店の前を通りましたが雰囲気が違っていました。確認したところ、理由はわかりませんが4年前に閉店したようです。
カウンターとテーブル席の小さな店でしたが、白鳥さんは伝説の「ビストロ・デラ・シテ」と乃木坂の「フウ」のシェフを長く務めた方で世田谷の店も流行っていました。
全盛期は西麻布に「ロワゾ―・ブルー」という店もやっていて、年商○○円あるというような話をしたことがあります。
ワインは、ブルゴーニュという方でワインの趣味は一緒でした。
「しらとり」は1992年開業で、私の店がまだ現世田谷店の2階の頃、千歳船橋から自転車で世田谷通りを突っ走りコーヒーを運んでいました。私も若かったですね。その後食材を輸入する際にコーヒーも輸入する?ようなことで、少し疎遠になりましたが、自宅からも近くよく行った店です。

 

 

 

また、世田谷・三軒茶屋のイタリアン「グッチーナ」にもコーヒーをチャリで運んでいましたが今は取引がありません。最近店名が変わったようです。
ここのスパゲティは、アルデンテよりはるかに硬く、おそらく日本で一番硬かったと思います。
イタリアでもこんなにも硬いスパゲティは食べたことがありませんでしたので、いまだ記憶に残っています。

 

 

 

乃木坂の「フウ」も日本のフレンチを語る中で欠かせない店です。
千代田線「乃木坂駅」ミッドタウン方向の出口の階段を上がるとすぐ右手にあります。
1980年開業の老舗で、2012年からミシュランの一ツ星をとっています。
エスプレッソのみ堀口珈琲を使用していただいています。
この店も歴代著名なシェフを輩出しています。
前述の白鳥さん、その後恵比寿の「サリュー」の森本さん。
お世話になった「フウ」のソムリエだった鳥山さんが開業したのが「サリュー」でしたが、2015年の年末で閉店したようです。人気のある店でしたのに、知らずにいました。
昨年金沢に引っ越されたようです。奥様、不義理を申し訳ありませんでした。

 

 

その後、2001年から「フウ」のシェフは、フランスから帰って間もない下村さんに代わりました。
下村さんは2007年に「エディション・コウジシモムラ」を六本木1丁目に開業し盛況中です。
2008年にミシュラン二つ星となっています。

 

 

 

「ル・マンジュ・トゥー」の谷さんも「オー・シザーブル」出身者ですね。
勝又さん、白鳥さん、川崎さん、谷さんもみな60歳過ぎだと思いますので、元気にやってほしいと思います。

 

 

ミシュランが日本のレストランに星を付けるようになったのは2007年からでしたが、~~~~~続く