ブランドサイトTOP >  パパ日記  > 日記 > 日本のフレンチの初期

最近のブログ記事

アーカイブ

パパ日記の検索

2017年9月
« 8月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

日本のフレンチの初期

2017年3月15日

日本の1980年代から1990年代の初期のフレンチは、個人的には以下に区分していました。

1.「エスコフィエ」(1950)、「マキシム・ド・パリ」(1996開店)伝統的な店。
2.「レカン」(1974)、「アピシウス」(1984)「トゥール・ジャルダン」など豪華な店。
3.「ビストロサンノー」「オーシザーブル」などのビストロ。
4.「ひらまつ」、「シェ・イノ」「クイーンアリス」「オテル・ド・ミクニ」「コートドール」オーナーシェフなどのレストラン。
5.「ジョエル」「パッション」などのフランス人シェフの店。
その後多くのフレンチが開店し、そこからあとの店は様々な媒体で知ることができると思いますので省きます。

 

 

 

1群は、伝統料理をベースとした老舗「エスコフィエ」は、1990年の堀口開業時からコーヒーを使用してくれた初めてのフレンチレストランで、開店時の焙煎の未熟の私を理解してくれた最初の方が平田社長でした。話は尽きぬくらいあり多くは省きます。

 

 

「シュバリエ」(三田)のフレンチ兼ワイン輸入商の太田さんとの接点も平田さんとの関係から生まれました。太田さんは40年も毎年生産地に通うような方で、世界でも類を見ないようなワイン商であり、そのセミナ―を数年間毎月受講していました。

アカデミックなソムリエではなく、産地直結のたたき上げの職人魂のある方で、現在の多くのソムリエとは世界観が異なりました。セミナー内容も、多くのワインスクールとは異なり型破りで、ワインのテースティング技法の一面を垣間見ました。
よくやったのは、同じワインで、1.抜栓後空気に触れている上部の30mlを抜いたもの、2.抜栓後2時間たったもの、3、デキャンタしたものを飲み比べるなどワインの状態変化を見るものや、同じワインの輸入元の違うものを比較したり、同じ地域の同じ品種で生産者の違うものを比較したりしました。
また、20種のフルーツを刻んで、数種のワインの香味の中にあるものを探したりと実践的なことをしてきました。

 

 

そこでの個人的な関心事は、「ワインがいつ飲み頃になるか」「いつまで香味がもつのか」などで、常にそのような意識でワインを飲んでいました。

 

 

このような経験から、2000年以降、生豆を購入するに当たり、空輸サンプルなどの評価の際に、「このコーヒーがどのような状態にあるのか?サンプルの香味と入港後の香味の差異はどの程度生じるのか?」「どの程度香味が維持されそうか?」さらに「どの程度の焙煎が可能なのか?」などの観点からカッピングしてきました。コーヒー業界ではこのような発想は稀有だったと思います。
これらは、ワインから学習したものの一つで、その後のコーヒーセミナーのベースともなっています。

 

 

 

昔はワイン関係者で、毎年産地に行き、生産者と会うような人はほとんどいませんでした。
コーヒーの世界も、15年前でも商社マンもエクスポーターとのつながりのみで、生産者とのコミュニケーションは極めて少なかった時代です。
太田さんの影響もあり、私は産地に行き、生産者と会うことが当たり前と考えるようになりました。
2000年代の初期は、生豆の品質に目を向け、その品質によりコーヒーの価値を判断し、差別化する始まりの時代ともいえ、過去の数十年のコーヒーの歴史を転換する革命的なムーブメントの時代だったといえます。

 

 

蛇足ながら、1990年代当時は、「エスコフィエ」のコーヒー代の支払いは小切手で、毎月月末に集金に出かけました。毎月行きますのでコミュニケーションはとれますが厄介な面もありました。
しかし、私のサラリーマン時代は、小切手や手形などでの支払いは当たり前で、商用車など高額のものは90日サイトの手形で支払っていました。
今でも蕎麦屋などの飲食店や小さな個人商店では納品と同時に現金支払いという商習慣は多く残っています。今の時代は振込すればよく便利になりました。

 

 
最近、個人で明治の牛乳を宅配でとっていますので集金があります。また新聞も集金ですし、クリーニングも集金です。もっと、もっと昔の昭和の時代は、勝手口に酒屋や乾物屋やさまざまな商店の御用聞きがきたものです。

 

 

「マキシム・ド・パリ」は、45年間営業したフレンチの象徴的な店でしたが、本国との契約切れなのか?2015年に銀座本店及びケーキショップなども全店閉店しています。
敷居が高く一度も行ったことはなく接点はありませんでした。
 

 

2群は、ビストロとは対照的で豪華なインテリアの店で、高級店として認知され接待などの顧客も多かったと思います。

「アピシウス」の初代料理長は高橋さんで長くシェフを務めています。
六本木ヒルズのできた時に、高橋さんはこじんまりとした「パ・マル」(現在閉店)を出店しましたが、縁ありコーヒーを使っていただきました。開店前に伺った折に「コーヒー屋ばっかしか来ねえよ」という言葉が今でも印象的に残っています。コーヒーの営業はビールと同じように大変な時代だったと思います。

 

 

 

当時の、喫茶店は、店で使うコーヒー以外の食材や備品は焙煎会社から購入していました。
今でも、焙煎会社は、車でデリバリーするのが一般的です。
業界の競争が激しくなるにつれ、喫茶店は次第にミルやコーヒーメーカー、看板まで借りて営業していくいようになっていました。エスプレッソマシンを使うレストランもマシンを借りている場合も多くありました。
商売道具を自分で買わないのだ….と当時驚いたものです。

業務用コーヒーの世界は過当競争、ディスカウントの時代で、それが今でも続いています。
喫茶衰退の原因の一つに、コーヒーの質の低下も挙げられます。
当時コーヒーを使ってもらうにも、初めに焙煎会社の「ひもつき」でないか?を確認することから始めなければなりませんでしたので、私は、1990年の開業後数年で自らコーヒーを売り込むことはやめました。
また、基本的にはコーヒーを配達することもできませんでしたので、宅急便を使用しました。

 

 

 

「レカン」は、銀座4丁目のミキモト本店の地下にあり、ビストロで食べている時代に最初に行ったグランメゾンです。最近ビル建て替えで一次休業しましたが、その後どうなったのか確認していません。

初めての訪問はまだ若い時期でしたので、銀座そのものは敷居が高く、若造が行くような店ではありませんでした。
薄給でしたので、どうやって2人で20.000円でおさえようか悩みつつ、前菜、メイン、ワインを選びましたが、選んだワインを「この料理には会いませんが…」といわれ、その時からソムリエが嫌いになりました。
お金がなく、一番安いワインを選んだのに……。
すみません、今は大好きなソムリエもたくさんいます。

 

 

 

その後、他に多くのレストランが出来、順番に食べに行っていましたので、「レカン」に行く余裕はありませんでしたが、数年前雑誌の企画でソムリエの大越さんと対談しています。大越さんはフランスに留学した方で、現在独立され、ワイン関係の仕事をしていると風のうわさで聞いております。
先日雑誌整理の際かなり処分してしまいましたので残っているかどうか….?

対談といえば、10年以上前に「マクシヴァン」の佐藤さんとも対談し、それ以降コーヒーを使用していただいています。これも何の雑誌か覚えていません。
佐藤さんとの話はこれまたいろいろあり、セミナーにも一時期よく参加しました。
こちらのセミナーは、ボルドーの1級を年代ごとに飲むとか、シャンパンの比較など今では考えられないような大判ふるまいの赤字覚悟のようなセミナー兼食事会でした。
業態はワインバーですが、ここのフレンチはなかなかおいしく、佐藤さんの味のコントロールはなかなかです。

 

 

私が、ブルゴーニュが好きなのに酒が弱いことと、一回に支払える限度額が限られていることを知っていると思いますので、高額のワインは出してきません。がそれなりの香味のピノノワールを「ムッシュにはこれ」と勝手に選択してくれます。

 

 

尚、手持ちの高額のワインを開ける際は持参し、佐藤さんに抜栓してもらい確認してもらいつつ、一番良い状態で飲めるようにしてもらいます。そんなこんなで、よく行きましたが、NHKのプロフェッショナルに出てから、店が混んで数年いかない時期があり、最近も行く回数は減っています。
日本のトップソムリエですが、気さくな方です。

 

 

 

「マクシヴァン」に行ったら、最後はエスプレッソでしめてくださいね。
話しがずれますがご容赦…..。

次は 話しの脈絡がなくご容赦ください。

ページトップへ