パパ日記

インディアンスとインディアン西部劇映画

大リーグ機構のコミッショナーが、来季からオハイオのインディアンスは、偏見や差物を助長するとのことで、先住民の長を示したロゴのユニホームでの使用をやめると発表しました。

 

 

 

オハイオのインディアンは、ジャクソン大統領の民族浄化政策で他州へ強制移住させられたり、白人同化をさせられたりした歴史を持ち、全米インディアン団体が昔から人種差別として球団に撤廃を申し立てていたものです。
米国のインディアンの歴史は、ほぼ映画でしか知ることはできません。
文献を読んでいませんので正しい知識は有りませんので、その点はご容赦。

 

 
1940~50年代の西部劇は、移住者である白人がインディアンを簡単に虐殺するもので、インディアン悪、白人・騎兵隊が正義でした。

 

 

 

1956年には、ジョン・フォードの西部劇「捜索者」は、インディアンにさらわれた、白人娘をジョン・ウエインが捜索する話ですが、インディアンに対する恐怖心のようなものを暗示していました。当時は冷戦の時代でソ連や中国をインディアンに例えるような構図も感じられました。
従来からの単純な図式から少しひねった作品がつくられるようになります。

 

 

 

1960年代に入ると、私の大好きな映画監督である、ロバート・アルドリッチが「アパッチ」でバートランカスターにアパッチ族を演じさせ、名誉と自尊心のために孤独に白人と戦う姿を描きました。
従来のインディアンに対する偏見や名誉回復を示唆した転換の映画となったと思います。

 

 

 

同じように西部劇の娯楽映画巨匠ジョン・ヒューストンは、「許されざる者」でバートランカスターの白人とその妹であるインディアンとの混血?にオードリー・ヘップバーン(ローマの休日の女優ですよ)をあて、当時の人種対立の混迷を描きました。

 

 

 

そして1970年にはラルフ・ネルソン監督が「ソルジャーブルー」で画期的な映画を作ります。
白人が侵略者であるというインディアンの視点から初めて作られた映画で、騎兵隊がインディアンの女子、子供まで無差別虐殺する事件(サンドクリークの虐殺)を題材にしました。
映画館で見ていて目を覆いたくなるような残酷な映画でしたが、インディアンに対し初めてアメリカの良心が描かれた作品といえます。

 

 

 

その後の西部劇そのものが衰退し、インディアンをテーマにする映画は減少します。

 

 

 

最近では、2013年にクエンティン・タランティーノ監督が「ジャンゴ」で黒人ガンマンを登場させるような超娯楽作がみられるようになります。デカプリオが以外にかっこいいですよ。
そのデカプリオが悲願のアカデミー主演男優賞をとったのが2016年「レヴェナント」で、西部劇は白人とインディアンの対立という映画ではなくなっていきます。

 

 

グァテマラ「エル・レティロ・デ・キサヤ」がお気に入りで、それを飲みながら書いています。
あっと………コスタリカ「オルティス2000」もいいですね。