パパ日記

学位論文

3月20日の卒業まで残り少なく、あとは学位論文の提出のみとなりました。
製本して提出する過程にあり、内容を見直しています。
精神的には、かなり楽になりました。
学術の世界ですから、テニスのようにフィジカル的な問題はありませんが、メンタル面ではかなり追い込まれます。

 

 

 

博士課程の最大のハードルは学会誌への査読論文で2報(3報のところもありますが、修士の段階から準備しておかないとほぼ不可能でしょう)の投稿です。
博士課程はここで多くの学生が足踏みすることになり、修士課程との違いがここにあります。

社会人枠の学生は、すでに企業の研究部門に在籍している人、研究機関に在籍している人、市町村の専門職の人、学校(高校・大学など)の先生など多岐にわたります。
社会人枠の場合、研究時間の制約が多い方は、3年の期間ではなく初めから4年計画の方もいます。
すでに、企業内で自分の研究テーマを持ち研究している方は、比較的有意な立場にあると思います。

しかし、企業での研究者であっても、学術の世界は異なりますので、要旨を説明する能力、論文を書く技術、能力を養わなければなりません。
また、最終的には研究の新規性が問われます。
ここが理解できないと、企業内で優秀な研究者であっても、査読論文で苦労します。
大体、社会人には、学術の世界はわかりませんので、安易に考えがちです。

査読審査は、本来よりよい論文を作成するために複数の査読者と学生の共同作業であるのですが、審査書には厳しい意見が添付されます。
このあたりは、査読論文を経験した方は、例外なくみな同じことをいいます。
「イヤー、大変でした」「2度と経験したくない」「いじめじゃないですか」など、この体験をした人でないとわからない共通認識のようなものがあります。

 

 

 

査読者(レフリーは多くの場合2名)は、論文を読み、研究の目的に新規性があるか、結果に整合性があるか、実験方法は適切か、統計処理法は正しいか、得られた結果から適切な結論を述べているか、引用した文献は適切かなどをチェックして、「掲載可、不可、修正すれば掲載可」などの意見を添えて事務局に送り返します。

いきなり不可にされると、そこで落胆は大きく,妬むなどドロドロした感情が生じます。 修正箇所を指摘され再度の投稿ということであれば、新たにチャレンジの意欲は沸きますが、「論文構成などの根幹にかかわること」であれば学生にはつらい状況も生じかねません。
指導教授と相談しながら対応していくことになります。

査読者は、無償で時間を割かれますので、早く終了したいでしょうし、学生も早くアクセプトしてほしいと願いつつ時間が経過します。
つまりは、実験や調査活動をし、データを蓄積して、論文を書き始めてからかなりの時間を費やすことになります。

数か月かけ論文を作成・投稿し、その後1か月から1か月半後くらいに論文が戻り、再投稿になればまた修正し投稿、さらに再々投稿となれば一本の論文に6か月から10か月くらいの時間がかかってしまうこともあります。

したがって、この間大きなストレスが生じます。
メンタルが強くないと難しいですね。
したがって、留年したり、退学したりという事例も生じます。

時間があるようで、3年では時間が短く、2年間の修士課程での研究の蓄積が重要だと痛感しました。私の場合、修士を卒業していませんので、修士課程修了の認定試験を受けて、さらに博士課程の入学試験を受け入学しています。

 

 

私は、コーヒーは大好きでも、化学や数学は最も苦手な分野でしたので、貴重な経験ですね。院卒の若林には、「統計でつまずきますから勉強しておいてください」といわれていたものの、その意味が理解できたのは2年生の後半でした。

 

 

 

データの統計処理で日常的に使用するものは、正規分布、多重比較検定、回帰分析などでしたので、エクセルの統計ソフトで何とか対応できました。

統計以前に、エクセルやパワーポイントを習得する方が先でした。
1年時のパワポは、いま振り返るとあまりに稚拙ですね。
ゼミ、スクーリング、学会発表といくつもパワーポイントを作り、論文要旨をまとめ、論文を書き、今少し頭脳明晰さが必要と痛感させられました。

もともと「あたまがよい」方ではなく、機械も苦手で、「創造力」をベースに生きてきましたので、いきなりのケミカルは厳しかったですね。

 

 
留年を覚悟していましたので、よくたどり着いたなというところでしょうか。