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コーヒーセミナー
新年おめでとうございます。
皆様のご多幸をお祈り申し上げます。
過去20年以上日本は低成長の中にあり、一人当たりのGDPは24位と低下してきました。日本経済の見方は様々で、内閣府では穏やかな景気回復が進んでいるとしつつ、中国経済の減速や設備投資などの不確実性もあるとしています。
しかし、日本は、デフレ状態で物価の上昇がないことで経済は安定しているように見えましたが、実態は、企業間格差が拡大し、社会保険料(雇用を保険、年金など)が増加し、円安による輸出振興策が日本の国力を弱め、金融緩和は建築ラッシュを誘導し、消費者物価指数より賃金下落指数の方が大きく、雇用や賃金の格差、税制の不備など様々な懸念材料を生み出していると考えます。
さらに、都市過密と地方の過疎、若年層の人手不足も加わり、コロナ禍のインバウンド消費の停滞もあり、大きな経済の成長は見込めないと考えるのが妥当でしょう。
最も深刻な問題としては、人口の減少によるは経済の縮小化、団塊世代の高齢化と介護者不足、社会保障額などの上昇があります。今後日本人は、「全員が豊かさを享受すべきと考えるのか、高望みせず質素でも心豊かに暮らしでよいと考えるのか?」、「モノを作って適切な利益を上げるべきか、投資により利益を上げるべきか?「大量生産大量消費製品をつくるのか、品質をもとめるのか?」など様々な問題に対処しなければなりません。
このような、なんとなく先行きが不安な状態が続いてきましたので、GDPの多くを占める消費マインドは曇り、価格の安いもがよいというディスカウントの拡大を招いてきたと思います。
つまりは、「モノが安いだけでよいのか?」「ファストファッションでよいのか?」「大根が1本100円でよいのか?」「100円コーヒーでよいのか?」「100円ショップでよいのか?」何故この安さがなりたつのか?安さの反面どこかにひずみはないのか?
安いものを全否定するわけではなく、その比率が問題だと常に言ってきたつもりです。
すべてのものが安くなった世界では、量産による品質問題が発生するなどの懸念が拡大し、何よりお金の循環量が減少し、利益を得る人は一握りとなりますので、健全とはいいがたいと考えます。
「良いもの、手間のかかるものとの共存を測れないのか?」「資本の論理のみでものごとが決められてよいのか?」など消費者が考え直す必要があります。
すでに、低成長期に生まれたミレニアムやZ世代でも「安いもので得したと感じるより、よい社会につながると感じられるものを買って満足を得たい」と考える層も生まれています。
小田急線の下北沢は、中古品屋だらけですが、既存にないものやリサイクルそのものに価値を見出したりする層が生まれているからだと推測します。
しかし、資本主義が当たり前で供給過剰の競争社会、既存の仕組みで動く成熟した社会では、利害が交錯し、複雑に絡んだ利権を0にリセットすることが難しいといえるでしょう。どうすればよいのか答えの出にくい迷宮の中にあるように感じます。
このような迷宮を抜け出す一筋の指針がSDGsなのかもしれません。
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スペシャルティコーヒー(以下SP)の誕生はいつだったのでしょう。
若い世代にはその生い立ちがわからないくらい、歴史を刻んできています。
現在40歳から50歳くらいの自家焙煎店のオーナーであっても言葉の意味を理解していても、体験をしていませんのでSPの本質がわからなくなっていると感じます。
たった20年ですが、コーヒー業界におけるこの変化は、とてつもなく大きなもので、過去の長いコーヒーの歴史を覆す衝撃があり、革命という言葉を使用してもよいくらいでした。
当時、私はこの動きを明治維新やフランス革命に匹敵するような出来事といいましたが、理解してくれる人は少数でした。
SPの発端は、米国におけるコーヒー離れ(コーヒーの品質低下などで1990年には1960~70年代の使用量に対し激減)に対し、歯止めをかけるために1982年に中小ロースターが作ったSCAAに端を発します。
このあたりのことについては2004年に、当時のSCAAの会長であったクリスチャン氏が来日した際に話してくれました。(「スペシャルティコーヒーの本」2005/旭屋出版・絶版に記録のためかきました)
しかし、SCAAが発足しても、この段階では、まだSPの概念は未整備で、私が1990年にこの仕事を始めた時にはSPという言葉の使用は米国でも日本でもほぼありませんでした(一部例外的に使用されていましたが省略します)。米国でも、エスプレッソ系の新しいドリンクを指してSPなどというような時代でした。
2000年盤あたりから、SCAAの展示会に生産国のブースが多く出始めました。
風味の原点は生豆にあるのではないか?という新しい価値観が生まれ始めた時期です。
この当時、私は流通していない単一農園の豆の入手を模索していました。
SPの大まかな概念については、SCAA.Report/Don Hollyなどで述べられています。
簡単に要約すれば「1.際立った素晴らしい風味のコーヒー。2欠点がなく、抽出液に際立った明確なキャラクターがある」ということになります、
この概念は、日本のSCAJ(2003年発足)のスペシャルティコーヒーの定義にもつながっています。(SCAJのHP参照ください)
この価値観のベースになったのは、SCAA会員が尊敬する(崇拝する)Erna Kunutsenさんの1978年の、「地理的に異なる気候は、ユニークな風味のプロファイルを持ったコーヒーを創る」という発言でした。
この当時のコーヒー業界には、全く斬新な価値観だったと想像します。
しかし、言葉でいくら説明しても、SPとは何か?よくわかりません。そのためじか?SCAAは、2003~4年?に生豆のグレーディングによりSPの定義づけを試みています。それは、生豆の欠点豆数を5以下とし、カッピングスコア80点以上をSPとした方式です。
この方式の運用の正確な時期はわかりませんが、私が2004年にグァテマラのオークション豆のジャッジをした時に、このカッピングフォームを初めて使用しました。
このSCAAのSP概念は、生産国をおよび消費国に広がり現在に至っています。
コーヒーの品質における革命的な転換をさせたと認識していましたので、その後15年間このカッピングフォームを使用してきました。ただし、時がたち問題点も多くなりその点についてはこの活動日記で何回も書いていますので参照ください)
さて、このスペシャルティコーヒーの重要な点は、「生豆の品質」と「スティナブルコーヒーという概念」と両輪で発展してきた点です。
続く