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コーヒーセミナー
資本主義のほころびが目立ち始め、社会の矛盾や課題が多くなりすぎて、その対応策は難しくなっています。
それらの中で世界的な潮流となったのがカーボンニュートラル(carbon neutral1/二酸化炭素の排出量と吸収量の均衡)をと)で、投資もESG(環境、社会、ガバナンス)の要素を組み入れるようになり、気候変動の問題のみならず、不平等、多様性、社会的公正などの諸問題への対処が問われるようになりました。
そのため、先進国、途上国すべての国を対象に国連で、SDGs(持続可能な開発目標/Sustainable Development Goals)の目標が設定されています。その内容およびそれまでの流れは、国連広報センター(https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/31737/)農林水産省のHP(SDGsとは:農林水産省 (maff.go.jp)その他で見ることができます。
最近は、多くのメディアでも取り上げられてもいます。2年くらい前に比べるとその量は増加し、なんでもSDGsに結びつける時代に入ったかのようです。崇高な理想ですので、それらの目標を解決していくミッションは、肩ひじ張らず、無理をせず、ゆっくりと、できることからという緩い行動からのスタートでよいとも感じています。
しかし、現実的には、政府や企業の利害関係もあり、目標を簡単には解決しないでしょう。まずは、国が長期的な方向性をしめし、企業が課題を解決できる目標を掲げ、評価を受けるような環境が生まれることが重要です。
但し、企業活動に矛盾がないことも問われるべきで、SDGsを掲げれば許されるかのような風潮に流れることには違和感を禁じえません。
そのためには、消費者(人々、生活者)は、社会的課題の重要性の認識を持つ賢明な消費者になるべきで、その数が一定数必要なのではないでしょうか?
賢明な消費者とは、商品の価値のみではなく、共感できる価値も理解した上で購入できる消費者とでもいうのでしょうか?フェアトレードなら、有機なら、SDGsなら何でもいいではなく、その背景を少し考えることも重要と感じています。
全ての人が、賢明な消費者(考える消費者)であることはむずかしいでしょうが、ある程度増え、企業と消費者が共通課題の認識が持てれば、会社は新しいチャレンジンに向い、消費者はそれを支えることで心が豊かな満足感がえられるのではないかと考えます。
うまく言えませんが、要は、まっとうな仕事をしているのか?を見極める目が重要に思います。
私は、おいしいコーヒーをめざし1990年に起業しましたが、2000年以降行ってきたSPの開拓は、おいしさ探求の延長線であると同時に、そのことがコーヒー産業の持続性に寄与すると考えてきたからです。
私は、SP一辺倒がよいというわけではなく、高付加価値の商品と量産の仕組みによる安い汎用品が共存できる市場の形成が理想と考えています。消費者が選択できる市場、そのバランスが重要と考えています。
価格の高いSPに偏寄り過ぎてもコーヒー消費は減少するでしょうし、品質の劣る汎用品のみでもコーヒー産業は衰退するというのが個人的見解です。
現状は、ディスカウントの比率が多すぎ、日本のコーヒー産業の持続性については、危うい状況下にあると考えます。これは、生産者、輸入商社、焙煎会社にとって、ハッピーではありません。
私のしていることは、「コーヒーがおいしいものである」ことを証明していくことです。
そのおいしさの価値に共感していただける賢明な消費者とともに、コーヒーの生産から消費の好循環を持続させていければいいなという思いです。
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さて、初めに挙げた日本の暗い未来に対し、どう対処すればよいのでしょか?私は、具体的なプランを持ち合わせませんが、マイナス思考ではなくプラス思考をすべきとは考えます。
1.日本には、戦後の成長期から発展しGDP3位を誇り、過去の遺産がまだ
2.日本の財政赤字は多いですが、バランスシート上では、資産がまだ多く残っています
3.人口は減少していますが、まだ1億人以上いて世界11位の人口大国です。
4.高学歴化し、教育水準は高いといえます。
5.OECD加盟(国際協力開発機構)35カ国中、個人の平均資産で見れば、世界でも上位に位置します。
このような資源をどのように有効活用し,未来を切り開いていくかは政治家の役目です。
しかし、まずは個人が、国や会社に期待するのではなく自らの意識を変えて、個人がしっかりと考えて消費(行動)していく賢明な消費者になることも一つの方向ではないかと考えました。
頭脳頭脳明晰ではありませんので。うまく言えず、思慮が浅いかもしれません。
この活動日記は、思っていることを一気に書いていますので。推敲などはしていません。
表現。文脈が乱れているなどのことはご容赦ください。