
ブレンドとの出会いや思い出、わたしだけの楽しみ方、好きなブレンドのことなど、ここでしか読めない内容となっています。
この連載をきっかけに、堀口珈琲のブレンドの魅力がより多くの人に伝わり、暮らしや人生が豊かになりますように。
夜の深呼吸 / 店舗事業部 小林 恵美
夕暮れ。顔を上げれば、空は刻々と色を変え、日が沈みはじめる時間。
さっきまでの空色はゆったりと暗みを深め、でもまだ遠くでは沈み切らない夕日の燃えるような茜色が、雲をまだら模様に染めている。
道端の木々は徐々に枝葉を影絵のようにくっきりと黒々と浮かび上がらせ、色んな青みが名残惜しむように混じり合いながらも、暗い暗い藍色に転じていく夕闇の空。
正味数分ともない筈なのに、なぜかこのいっときは時間が一斉に息をひそめたかのように流れを止める。
朝や昼、そして夜でもない。何処にも属さない時間。
この宵の時間が、一日の中で一番好きな時間。
そんな、吸い込まれんばかりに放心させる宵が消え、夜が満ちた途端しんみりとしつつも、一日の終わりを感じ、その後を追ってやってくるのはなんだろう。ほっとするような安心感。おかえり、夜。
家に着いてからの家事や雑事で、手元に余る夜の時間はなんとも短いのが常々。それでも、一日の中で自分にぼんやりと向き合えるのはこの時間ぐらいで、ぼんやりするにはやっぱりコーヒーだよね。となる。
朝にいれるコーヒーは、その日の自分にスイッチを入れるようなはじまりの一杯。だから豆はその時々の気分任せで、てんでばらばら。でも、ようやく一息ついて飲みたくなる夜のコーヒーは、なぜかブレンド#8「PROFOUND & ELEGANT」。
#8に感じるのは、心地のよい深みに深々と沈んでいくイメージ。
豆を挽くと漂う香りは、深い森の中に満ちる濃霧のような、やわらかくもしっとりとした重みを感じさせる。
いれながらその香りの中にぼんやりと佇んでいると、滓のように身体の中に溜まっていた今日の疲れがじんわり抜けていくよう。大きな深呼吸、に似た感覚。
今夜の#8は、かすかに土のざらついた感触を口先にひんやり感じるカップに注いでみる。
――たしかアイスランド。ギャラリーのガラス越しに見えた、独特なぽってりとした形。思わず店の中へと誘われ、そのカップを手に取った瞬間……。“旅先だから”という自制心は秒で消え、その小さなこわれものを買ってしまったんだっけ。
その時はまったく……と呆れたかもしれない自分を、今は「よくぞ持ち帰った」としっかと抱きしめて褒めてあげたくなる。
アイスランドの首都、レイキャビクの記憶の空はモノトーン。早朝に到着し、空港を出たバスが走るのはごつごつ黒々とした火山岩が地上一面に広がる風景。その真っ黒以外の残りは、まだ薄暗く、でも遠くで日が昇り始めていたのか白くてキンと冷え込んだ空が占めていた。とんでもない地球感だった――。
ひんやりとした記憶が身体をキュッと縮ませ、思わずじんわりと温まったカップに手がのびる。
口に含むと、まず厚みのある苦みと染み込んでいく深いコク。そして、ふたくち目からは複雑で濃密な味わいがまるで宵の空のようにゆっくりと、彩度を変えながら身体の隅々に浸透していく。
しっかりと深煎りのコーヒーでありながらその余韻に感じるのは、深い味わいと共に透明感、ほのかに舌の上に残る果実の甘やかさ。
ふとした夜に、ぼんやりと廻るいくつもの旅の記憶。
甲板から見飽きなかった青い地中海
おんぼろ寝台車の3段ベッド
夜空に砂糖をぶちまけたような星と天の川
駅舎での野宿……。
それらは時の経過をひょいと飛び越えて、いつだって今の自分を元気づけてくれる。
昨日でもなく今でもなく、どこでもない。心の深くにある場所。
ブレンド#8は、私にとって記憶の深みへと沈むための、アンカーのようなコーヒー。


店舗事業部
2020年入社
コーヒーと映画でカラダがつくられています。
今年やりたいことは、子育てで手放したバイクでのツーリング!行きたい場所だらけです。