パパ日記

極私的ティピカ

正月にボランジェを飲んでいて、そのさわやかな味わいにティピカを連想し、思いを巡らせました。

 

 

コーヒーは、オランダ人によりイエメンからセイロン、インドに運ばれ栽培されています。その後1696年インド南西部のマラバルから数本の苗木がジャワ島に運ばれます。
ジャワで育った一本の木がオランダのアムステルダムの植物園で育てられ、さらにフランスのルイ14世に寄贈され、パリの植物園で育てられます。
ここで育った苗木は、フワンスの植民地であったカリブ海のマルチニーク島に1723年に送られます。
この輸送の命を受けた、海軍将校のド・クリューは航海の途中、飲み水を節約しつつ苗木に水を与え、無事運び、その地で苦労の末初めての収穫を迎えます。

 

 

マルチニーク島で育った木の種や苗木は他のカリブ海の島々やメキシコ、中米、南米に伝播していきます。これがティピカと呼ばれるものです。

 

 

他には、フランス人がインド洋上のレ・ユニオン島(旧ブルボン島)に1715~17年運び栽培しています。1720年代にはフランス領ギアナ経由でブラジルに、その後イギリス領であった東アフリカ地域にも伝播していきます。
これらはブルボン島を起源としブルボンと呼ばれます。
(このあたりの詳細はユーカーズの著書オールアバウトコーヒーに詳しく書かれていますが、あいまいな部分も多くあります)

 

 

 

現在栽培されているアラビカは、この2つの伝播の流れの中で、突然変異が生まれたり品種改良がありますが、DNAを抽出してもその遺伝的距離は小さく、品種間差には大きな違いは見出せません。
しかし、コーヒーの香味の観点からいえば、生産環境により香味の違いが生じティピカやブルボンは極めて重要な品種となります。

 

 

とりわけティピカは、樹高4m以上にもなり剪定が必要で、かつ収穫量も少なく、病害虫にも弱いという欠点があり、多くの産地でカツーラ等に植え替えられてきました。カリブ海の島々、中米、コロンビアなど多くの国からこの品種は減少しつつあり、絶滅に向かうのではないかとさえ危惧します。

 

 

 

基本の香味は、柑橘のさわやかな酸、ほどほどのコク、心地よい後味です。
別ないいかたをすればクリーンともいえます。
このクリーンさこそコーヒーの原点の香味の一つというのが個人的な考え方です。これはコーヒーの香味を比較するうえでの基準値のようなもので、この香味を理解できないと、コーヒーの香味を体系的に理解することができなくなってしまいます。
それは海図なく大海原を航海するようなものでしょう。

 

 

ティピカについては、日本のコーヒー関係者の一部の方はその重要性を理解していましたが、おおむね海外消費国のコーヒー関係者は品種に無関心であったように思います。生産国の関係者でその重要性を理解している人は一部にはいますが、世代的にはすでに60~70歳以上となるでしょう。

 

 

コーヒー栽培の歴史はさび病との戦いの歴史であり、また需要の拡大に対する生産性の向上のための品種改良の歴史でもありました。
コーヒー生産国は、ワインのように先進国での生産と消費の歴史ではなく、貧しい第三世界の農作物の歴史であり、香味の向上という観点からの品種改良などは農業政策として困難であったと考えます。

 

 

 

2000年以降のスペシャルティコーヒーのムーブメントは、消費国マーケッを成熟させつつあり、今後は生産国と消費国が連携し、品種と香味に関しての新しい価値観を構築していける可能性は増すと考えられます。
すでにゲイシャやパカマラなど新しい品種に対する関心が生まれつつあります。

 

 

わたしが2003年以降東チモールにかかわったのはティピカが多く残っていたためで、この品種を守りたかったからです。
生産性の高い品種に植え替えれば収穫量は増しますが、それは稀少品種として付加価値の低下を招き、長期的な視野に立てば競争力を低下させると考えたからです。このことは農務省や日本大使館にも何度も伝えてきました。

 

 

生産国は収穫量を求めるのは当然ですが、各生産国も古い品種を大事にするという政策も必要とも考えます。
そのためには、世界中のコーヒー産業に携わる新しい世代がこの品種に関心を持つような啓蒙が必要であり、それを後世に残すために高い価格でも購入するという消費マーケットの構築が必要とも考えます。

 

 

ジャマイカはさび病で大減産となり
ドミニカはカツーラに植え替えられ
キューバはコーヒー産業が衰退し
コスタリカはカツーラが主流となり
グァテマラにはブルボンが残っていますが、ティピカはほぼなくなり
ハワイは害虫の甚大な被害にあい
パプアニューギニアは品種の混在へ向かい
コロンビアはカスティージョに変わりつつあり
ペルーにはわずかに残っていますが、流通はほぼありません

 

 

ティピカだけがよく、他の品種がよくないといっている訳ではありませんので誤解なきよう。
ブルボンはまだ多くの産地に残り、すばらしい香味を生み出し香味の基本軸になり得ますし、カツーラでもコスタリカやパナマで素晴らしい香味を生み出す産地もあります。

 

 

くどいようですがこの品種の消滅は、コーヒーの香味の基本軸がなくなることを意味し、テースティングのマトリックスが崩壊してしまうというのが私の基本的な考え方です。
この基本ともいえる香味を多くのコーヒー関係者がわからなくなっていることに問題があるわけです。

 

 

コーヒーは品質や香味が重要です。
10年前からSCAAの評価基準で、スペシャルティコーヒーの品質について客観的な評価をするような時代になり、同一生産国の香味の比較はできるようになりました。
しかし、SCAAのカッピングフォームでは、香味の素晴らしさについて、
 他の国のコーヒーと何が、どの程度違うのか?
 どう評価すべきなのか?
については判断できません。
コーヒーの香味は各生産国のテロワールの影響も受けるからです。

 

 

これはあくまで私の極私的な見解ですが、香味の基本軸がなくなるということは、テースティングの観点からいえば「コーヒーの危機」といえるでしょう。
したがって、私がこの品種にこだわる理由の一部を理解いただけるでしょう。

 

 

コーヒーに携わるということは、コーヒーの品質、香味にこだわるということです。
品質は栽培や精製その他のプロセスをチェックし、管理することができますが、香味は品種とテロワールにより大きく左右されます。
コーヒーの仕事に携わる私は、香味にこだわることの中に、仕事の楽しさを見出してきました。
ワインのようには解明されていない、コーヒーの複雑な香味に対するロマンとでも言えばよいのでしょうか?

ただ このロマンは、コーヒーに携わるだれもが追い求めることができるわけではありません。
そのためには、生豆の世界において
 テースティング能力
 新しい産地の開発力
生豆の購買力などの
しっかりした実力が問われます。

 

 

おかげさまで、堀口珈琲は、世界でも有数のハイエンドスペシャルティコーヒーのバイヤーとなっています。
ですからこのロマンを追い求める力があり、ティピカにもこだわることができ。それは私のわがままでもあります。

 

 

今から20年近く前に「コーヒーと文化」(季刊誌)に各生産地のティピカの香味の違いを書きましたが、その当時の香味をいま体験できるかは疑問です。
ティピカは、すばらしいテロワールの中で、きちんと施肥をし、栽培管理をすれば素晴らしいコーヒーになるであろうといつも考えています。
最近は、シングルオリジン、シングルオリジンと一つ覚えのように唱えられますが、コーヒーの本質的な香味が何か?がわからなければ意味がないでしょう。