キャンティの続き…
イタリアンの古典は、代官山のパパアントニオに見ることができました。
(現在はラザニア専門店に代わっています)
オーナーのピエトロさんの父は、ムッソリーニの作った料理学校を卒業し、軍艦の艦長の料理人であったようです。終戦を日本で迎えそのまま日本に永住し、最終的にイタリアレストランを開業しています。初めは六本木通り(今の店とは違う場所)にありました。
確か3人兄弟で、現在兄はレストランチェーンを展開し、弟はデリカを展開していると思います。間違っていたらごめんなさい。
ピエトロさんは、代官山ヒルサイドで開業し、父の料理を受け継いでいきました。
私がこの仕事を始めた25年前は、ランチでも前菜がビュッフェスタイルで魅力がある店でした。
多くのイタリアンが1980年代からでき始め、1990年以降多くの店に行きましたが、一旦この店に戻り、又さまざまな店を食べ歩くということをしていたと思います。
私にとってイタリアンの原点の味があります。
海外で修業して帰国した料理人も増え、料理の幅も広がる中でパパアントニオはかたくなにスタンダードな料理にこだわり続けていました。
したがって品数も少なく、時代の流れの中で孤立していったと思います。
イタリアンが和の要素、フレンチの要素をとり入れたり、イタリアの郷土色の強い料理で新しさを追求する中で、この店を理解できる食べ手は多くは育たなかったと感じます。
またこの店のカトラリーやリネンなどのこだわりも理解できる顧客は少なかったと思います。
私は15年強の間でこの店の料理の大部分を食べつくしました。
今はなき、さまざまな前菜類はもはや食べることが難しくなりました。
パパアントニオのボンゴレのビアンコ、オッソブーコ、隠れメニューのナポリ風ピザなどを今なつかしく感じます。
ピエトロさんは先般の6月のカフェショーの当社のブースによられたので久しぶりに話しました。今はラザーニャしか出さない……。
「スパゲッツティは日本人も作りますでしょ、…ですから出しません。」
頑固で一家言ある方です。
兄弟の中で、お父さんの味を一番再現してきた方なのではないかと思います。
2014.4.9の活動日記も参照ください