パパ日記

jicaとマイクロロースター

毎年行われているJICAの「生産者輸出競争力強化セミナー」で日本のマイクロロースターについて話す。(以下の内容は伝えてもわかりにくいため省略しています。)

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世界的には、マイクロロースターは零細規模のロースターをさし、日本では自家焙煎店などとも呼ばれています。この言葉の定義はありませんが、焙煎機を店内に入れてコーヒー豆を販売したりコーヒーを飲ませる店として世界中に増えています。
米国の場合、多くはスターバックスの牙城であるシアトルから生まれ、ポートランドに波及し、全米に広まりました。
ポートランドには50を超えるマイクロロースターがありますし、シアトルもまだ増えています。(このあたりは過去の活動日記を参照ください)

 

 

 

他方サンフランシスコやニューヨークを中心に伝統的なコーヒー挽き売り店も多くあり、そのような時代の中で、スペシャルティコーヒーの萌芽とともに斬新なデザイン性やスタイルを持ったブルーボトルが2002年に生まれ、さらなるマイクロロースターブームにつながっています。

 

 

 

スペシャルティコーヒーの発展は、新しいマイクロロースターを増やし、2010年以降は大手ロースターに集約化されつつあったヨーロッパにもその影響が派生していきます。しかし、ブルーボトルに代表されるサードウエーブの店は、情報の拡散により、みな同じような店でしかなくなり、個人的に言わせれば新しい店はみな「きんたろうあめ」状態ともいえるでしょう。
すでにサードウエーブの多くの会社はファンドに買収され、創業の理念が保持されるのか疑念が残ります。

 

 
出店を加速することは自社の生豆の消費を拡大することになりますが、優れた高品質の豆は多くはないということを理解すべきでしょう。当然品質維持のためのハンドピックや選別などは出来ないでしょう。
どのような優れた生豆でも欠点豆は混入しますので、堀口珈琲では狛江店で生豆を電子選別機で選別し、さらに焙煎豆をハンドピックしています。

 

 
日本の自家焙煎の歴史は古く、1970前後に自店のコーヒーをロースター(焙煎業者)からとらずに小型焙煎機で自分で焙煎する店として自家焙煎店が生まれています。それはあくまでも自店のコーヒーを焙煎する店でした。
1980年代に少し増加しましたがこの当時はまだ家族経営で卸売専門の小ロースターが多くを占め、一部は店頭で豆を小売りしていました。

 

 

 

この小ロースターは、東京都内にも多くあり、20kg程度の焙煎機で午前中に焙煎し、午後配達するような店も多かったと記憶しています。しかし、1981年にピークを迎えた喫茶店の衰退とともに、卸先を失い多くが1990年代で廃業していきました。
ここまでを第1次自家焙煎店の時期と考えることもできるでしょう。

 

 

 

1990年に堀口珈琲は家庭用に豆を販売する店としてスタートしましたので自家焙煎店という言葉は一度も使用していません。また、当時のロースターは喫茶の隆盛とともに卸売りとして発展し、その規模も大きかったためロースターとも異なりましたので、ビーンズショップという言葉を使用しました。現在はロースターと称しています。
1990年から家庭マーケット向けのコーヒー店が増加し、既存の自家焙煎店もそこに目を向け始めましたので、第2次自家焙煎店の時期として区分できるかもしれません。

 

 

 

2000年以降は、スペシャルティーコーヒーの動きの中で、自家焙煎店は喫茶の廃業のかわりに飛躍的に増加していきました。
年間200台を超える焙煎機が出荷されていましたので、第3次自家焙煎の時代ともいえる飛躍的な発展期といえるでしょう。

 

 

 

2010年には月間1トンを超える販売量(ディスカウントを除く)を誇る店も出始め、新しい時代に突入し、その取扱い量や金額で中小ロースターを超える規模にまで発展した会社も生まれてきています。
 

 

そして2010年以降は、サードウエーブに影響を受けたような自家焙煎店が増加し第4次自家焙煎の時代ともいえるかもしれません。
詳細は後日