老子は「タオ」を説き、日本では「道」、英語ではTaoと呼ばれ、Zen(禅)と同じように国際語になっています。老子の視点は壮大な宇宙観があります。
そして現在、老子の思想には、近代西欧文化の行き過ぎた自己主張(self-assertion)、所有(possession)、支配(domination)に対するアンチテーゼになるとも考えられ、行き過ぎた資本主義、合理主義に対しての警鐘になりうると考えられます。
老子のことばを中国語から日本語に訳すと意味が分かりにくく、英文学者の故加島祥三造さんは、英語版から老子を研究し、独自の解釈をしてきた方で、「タオ-老子」(加島祥造)などは、私の愛読書の一つです。
勿論、「老子」(蜂谷邦夫訳注)は、訳文、訓読分、原文とあり読みやすい基本の本です。
現在の経済に必要なものは、複雑な経済理論や心理学以外に、「老子」の教えや、「仏教的思想」などではないかとも考えたりもします。
現在の世界的な好景気は、老子風にいえば、「景気がよいように見えるのは、景気がよくないからである」という感じでしょうか?
この現状の景気観は、適温経済(ゴルディロックス)ともいわれ、過熱しすぎてもいないし、冷めすぎてもいない状態ともいわれます。
(ゴルディロックスの意味は、熱くもなく、冷たくもないほどほどの適温のスープが選ばれるというイギリスの寓話からきているようです。)
しかし、この状態が永遠に続くはずはありません。
日本人は、いま「どのような社会に向えばよいのか?」「どのような社会が健全であるか?」などについて英知が問われているように感じます。
時代の先端を知ることができるかもしれないと期待して購入した「超AI時代の生存戦略」(落合陽一/大和書房)は、論理がきちんと展開されているとはいいがたく、何をいいたいのか?今一つよくわかりませんでした。
基本的には、「人間そのものが再定義される」ということなのでしょうか?=人間、物質、機械、バーチャルの区別がつきにくくなっていく世界とでもいうのでしょうか?
天才プログラマーの頭脳は、日本語というコミュニケーションツールとはかみ合わないのかもしれません?
シンギュラリティ(Singularity)は、一般的には人よりも人口知能の方が賢くなる分岐点です。すでに将棋などではAI(Artificial Intelligence)がまさっていますが、それを生み出すのは今のところはまだエンジニア?という人間です。
しかし、レイ・カーツワイルは、かなり前に「人工知能は、2030年頃に言語理解分野で人と同レベルになり、2045年が分岐点」という様なことをいっていました。
AIは、本当にタオを理解できるようになるのでしょうか?
映画では、このようなテーマはSFの領域で、かっこよかったキアヌ・リーブスの映画「マトリックス」やその他「ターミネーター」、「ブレードランナー」などきりがありません。
また、映画の世界では、「猿の惑星」で猿の知能向上が描かれたりしましたが、その後のAI映画では、あまり面白いと感じたものはありません。
話しが映画にそれたので、最後におまけ。
キアヌの映画「ジョン・ウィック」(2014)のバイオレンスアクション(日本の時代劇でいう殺陣)は、映画史上屈指と思います。
全豪オープンが始まっていますが、錦織君は欠場です。
早く復帰してほしいものです。