パパ日記

Netflix

GWはネットフリックス三昧でした。

ネットフリックスには、古いアメリカンニューシネマなどは入っているのか?もう一度見たかった40年前の1969年「華麗なるかけ」(ノーマン・ジェイソン監督)を検索したらあり見てみました。画質もきれいで、スティーブ・マックイーンがあまりにドレッシーでかっこよく、フェイ・ダナウエイの衣装も当時のファッションを着こなし、スタイリッシュな感覚の完全犯罪映画で、いま見てもなかなか面白いです。ただ、著作権管理などはどうなっているのでしょう?


米国映画は、1940年代の第2次世界大戦及びその後の冷戦、1950年からの朝鮮戦争、公民権運動、キューバ危機、1963年のケネディ暗殺、1965年頃からのベトナム戦争、ドミニカ内線、反戦とピッピ―ムーブメント、さらに1969年のウッドストックコンサートがあり、同年の「イージーライダー」などのアメリカンニューシネマの登場など米国国内の社会状況の断面を切り取っていました。
1971年までが大学時代でした。


私が大学時代に書いた唯一の文章は「ハリウッド映画論」です。エリア・カザン、チャップリンその他ハリウッド映画人に対するレッドパージの時代から、スタンリー・キューブリック、ロバート・アルドリッチ、ジョンヒューストン、ウイリアムワイラーなど多くの優れた監督の時代までを書いたものです。

もちろんDVDはなく、映画は劇場か、TVでの放映でしか見れませんでした。情報は少なかった時代ですね。

映画監督になりたかった時期です。

こうしてみると、米国は、その後も1979年からのニカラグア侵攻、グレナダ侵攻、リビア空爆、パナマ侵攻、湾岸戦争、アフガニスタン、イラク戦争、そしてリビア、シリアとアメリカは常に戦争をして、映画はそれらを題材にしています。


映画は時代を映し出していますので、映画評論は、そこから監督の意図、社会的背景、問題点などを読み取り、それらに対峙し、もしくはそれらを提示しつつ自らの見解も論じつつ、評価していく作業のようなものですが、最近は評論が少なくなっています。映画解説が多いですが、それも必要でしょう。

まあ、難しいことは言わず、「アベンャーズ」を楽しんでみればいいじゃない。とはいうものの、映画評論であれば、何故このような映画が大きな興行成績を上げるのかについて考察し、論じてほしいところです。

1990年、この仕事を始める前に、20年かけて揃えた映画関係の貴重な蔵書を神保町の矢口書店(映画、演劇、シナリオなどの専門古書店)に赤帽のトラックで送り付け売りました。雑誌も含めると相当数でしたので、当時のお金20万円弱で買い取ってもらった記憶があります。

売るのはかなりもったいなく、相当悩みましたが、「店の開業にあたってのけじめというか覚悟」があったと受け止めてください。