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サードキャリア

2019年5月22日

大学を卒業し、16年アパレル会社で働きました。
一般的にはこれが「ファーストキャリア」です。入社時は、日曜のみ休みで、土曜は半ドン(午後が休み)でした。今とは大違いです。

ですから、山には夜行日帰りでした。新宿発23時55分発の中央線普通列車で早朝に塩山や小淵沢で降りて、バスなどで山に向かったものです。


山頂でインスタントラーメンなどを食べ、昼過ぎには下山していくようなスケジュールでした。登山シーズンにはかなり込み合い、段ボールをひいて床に横になったりしていました。月曜には会社に行くのですから、かなりハードでしたが若かったんですね。

20代の頃には、テントをしょってよく一人旅もしていました。
その時は日本地図を見て、日本の岬の突端に行くのが趣味で、電車、バスを乗り継ぎ、最後は徒歩で向かいました。
若かったんですね。

早朝に、神宮のテニスコートでテニスをしていたのもこのころで、6時から8時までプレーし、9時には会社に行っていました。
コナーズ、ボルグ、マッケンローの時代で、まだ木のラケットの時代でした。
若かったんですね。


話がそれました。


会社を退社し、3年間ほどバイトや充電をし、40歳で堀口珈琲を立ち上げ約25年間働きましたので、これが「セカンドキャリア」ですね。


当時新橋で最も忙しい店を見つけ、そこでアルバイトをしましたが、生き残った喫茶店でした。この仕事に参入するうえで、どこまでできるのか?肉体の限界を確認するためでもありました。

刃先の長い牛刀で食パン1斤を薄く8枚にスライスしましたので、もはや上級スキルでした。この経験があったので、店では注文を受けてからスライスしていましたが、今では忙しくそこまではできません。


ナポリタンは、必ずトマト―ソースを作っておいて、ケチャップで最終的な味の調整をしていましたので、他よりはおいしいものでした。


アイスコーヒーは、1ポンド用やぐらにネルをセットし、1ポンド(実際は500g)のコーヒーで5リットルくらい抽出しました。


出前も多かった時代でした。
1日100杯くらいは出たでしょうか。これより前の時代はもっと多かったはずです。1990年に自分の店を立ち上げたあとに、衰退しつつくある店の支援もしました。その時の帳簿を見せてもらいましたが、全盛期は100杯以上の出前は当たり前でした。今では、想像もできませんね。


喫茶店では、食洗器がなく、あまりの忙しさに腱鞘炎にもなりましたが、この店で1970年以降に隆盛した昭和の喫茶店の原型を確認しました。


堀口珈琲の話はカットします。

話がそれました。


その後大学院に入学し、卒業し、ここからが「サードキャリア」ですね。最終的には、40年以上も働いてきたんですね。


大卒の場合であれば、せめて43年働いたら(65歳)、報われる社会にしたいですよね。政策とは、そのような仕組みを先に考え、それを実現するためにどうすればよいのかを考えることでしょう。


世の中では、セカンドキャリをどうするかが議論されますが、私はサードに突入するわけです。あまり多くの方が体験していない領域に踏み込むことになります。


ここからは、フィジカル、メンタルの面で、できることは限定されるかもしれません。何かを還元していくような活動になるでしょうか?大袈裟に言えば「コーヒー産業のサスティナブル」とか、「コーヒー育」とか、「生涯学習」とかがベースにならないと面白くないと感じてもいます。


「コーヒー育」は、特に重要で、最近は高校、大学でのコーヒーの啓蒙が必要と考えています。このままですと、10年後にコーヒーを飲まない層が拡大すると危惧してます。タピオカは意外に強力な嗜好品になるでしょうね。

先生方、ご要望があれば、高校、大学に伺いますのでご連絡くださいね。



アジア圏の消費が伸びているからコーヒー産業は安泰といわれるかもしれませんが、とんでもありません。品質に基づく市場が成熟するには10年以上かかりますので、その時には生産と消費のバランスは壊れている可能性がありますので、単純ではありません。

コーヒーを学ぶことは、世界の社会状況を学ぶことにつながりますので、重要であるわけです。

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