パパ日記

大手町と神田

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今日、大手町にワクチン接種に行ってきます。


場所は堀口珈琲のある大手町oneの隣が経団連、その横の合同庁舎。
11時5分に会場入りして、次回予約の終了まで45分。
スタッフが多く、流れ作業でスムーズでした。




ワクチン接種が終わらないと、かつての日常は戻らないでしょうね。
酒なしでレストランはきついですね。


はるかそのむかし、はじめての就職が内神田でしたので、大手町駅から神田橋を渡り歩いて通いました。接種会場も内神田寄りの場所ですので、懐かしです。
神田の町も様変わりしているでしょうね。


昔の神田は、新橋と並び焼き鳥屋のメッカでしたが、ほぼモツ焼屋で、いまのような鳥専門の店はほとんどありませんでした。

このブログの多くの読者が生まれていない1970年前後(昭和40~50年代)の頃ですね。 毎晩、サラリーマンが 会社帰りに一杯ひっかけて帰ったような時代で、町は活気がありました。昭和40年前後から日本は高度成長期に入り、1964年(S39)に東京オリンピックが開催され、1968年(S43)にはGDPで世界2位になっていきます。経済成長が人口増(団塊の世代)に比例していたわけです。


映画「3丁目の夕日」は戦後の面影がまだ残り、高度成長期の少し前の昭和30年代の話になります。

その後の中国や、アジア圏、今後のアフリカの経済成長も人口増との相関性が見られます。日本は、人口減ですが、高度成長期に発展した多くの大企業や国の対外債権の蓄積がありますので、コロナ禍でも札をすることができるとも言えるでしょう。但し、グローバリズムの中で経済成長が偏りましたので、高度成長期の1億総中流社会から、格差が顕在化した時代に変化しています。


昭和の赤ちょうちん(飲み屋のしるしとして店頭にぶら下がっていた)では、演歌が流れていました(フォークソングもありました)。
私は1967年以降はロックに傾倒していました。ビーチボーイ、ビートルズ、クリーム、ドアーズ、ジャニス、オールマン、ボブディランなど米国のブルースが英国に渡りさらに多くの音楽とクロスオーバーし、ロックミュージックが台頭して行った時代で したので、 輸入レコード(国内版がリリースされていないものも多かった)を買いによく専門店に通いました。
ベトナム戦争の時代で、ケネディが暗殺され、反戦の機運が拡大し、ウッドストックコンサート(1969)が行われ時代です。

映画は、「イージーライダー」(1969)などのアメリカンニューシネマの時代です。フランスのヌーベルバーグはこの少し前の1960年前半になります。

話は変わりますが、最近大瀧詠一のサブスクが解禁され、彼の音楽を耳にします。40年前の音楽にになりますが、効き直すといまのJポップよりおしゃれですね。
美(うるわ)しの Color girl~とか昭和の時代に突出したセンスで、北国の旅の空~とか小林旭が歌っても演歌にならない。
シティポップといわれるゆえんです。


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