コーヒーとサステナビリティ

コーヒーとSDGs 第8回 コーヒーと平和

コーヒーとSDGs 第8回 コーヒーと平和

「Planet(地球)」(目標12~15)に続き、今回はSDGsの5つのPのうち4つ目である「Peace(平和)」(目標16)を取り上げます。「平和」にはさまざまな意味がありますが、SDGsでの「平和」とは、心や精神の安らぎや平安というよりも、恐怖や暴力のない状態を指します。そうした意味での平和をコーヒーが作り出すことはできません。しかし、より平和な社会を目指すための助けになることはあります。その事例として今回はルワンダでの取り組みをご紹介しましょう。

Peaceに関するSDGsの目標16

目標16には「平和と公正をすべての人に」という日本語のキャッチコピーが付いていますが、目標自体の文言は次のとおりです(訳文は蟹江憲史『SDGs(持続可能な開発目標)』中公新書2604(2020年)に拠ります)。

 

目標16:持続可能な開発のための平和でだれをも受け入れる社会を促進し、すべての人々が司法を利用できるようにし、あらゆるレベルにおいて効果的で説明責任がありだれも排除しないしくみを構築する

 

この目標の下に12のターゲットがあり、その筆頭(16.1)は「すべての場所で、あらゆる形態の暴力と暴力関連の死亡率を大幅に減らす」となっています。「あらゆる形態の暴力」という表現が用いられていることからわかるとおり、目標16(そしてSDGs全体)における平和とは国家間の戦争がない状態だけを指すのでは必ずしもないことをまずは確認しておきましょう。

平和はSDGsの最後の方に出てきますが、優先度が低いわけでは決してありません。SDGsを内包する文書「アジェンダ2030」では、平和なくして持続的な開発はあり得ないと断言しています(前文および宣言第35段落)。そもそも平和は開発や人権とともに国連が伝統的に追求してきた価値であり、そこに環境やサステナビリティという価値を統合してでき上ったのがSDGsであると捉えるならば、SDGsにおける平和の重要性は自然と理解できるのではないでしょうか。

 

コーヒーと紛争


残念ながら、多くのコーヒー(生豆)生産国が戦争や内戦、動乱、紛争(以下、総称して「紛争」)に見舞われてきました。国内で紛争が起きると、その国のコーヒー生産・流通には当然、相応の影響が生じます。

中には紛争が大規模化かつ長期化したため、コーヒー生産が壊滅してしまった事例もあります。1975年に発生し2002年まで続いたアンゴラ内戦です。

アンゴラはアフリカの南西部にある国土面積約125万平方キロメートル(日本の約3.3倍)の国で、1975年にポルトガルから独立しました。独立以前はロブスタの生産が大変盛んで、当時は生豆生産量で常に世界トップ5に入る一大コーヒー生産地域でした。しかし、この隆盛は独立後、瞬く間に失われてしまいます。ソ連の支援を受けていた勢力と米国の支援を受けていた勢力が政権掌握をめぐって対立し内戦が勃発。キューバや東欧社会主義諸国、南アフリカ、中国の介入も受け、紛争は27年間も続くことになります。この間に数百万人もの犠牲者が出ました。コーヒー産業も大きな打撃を受け、生豆生産量は内戦勃発直前の数十分の一にまで減ってしまいました。現在は生産量が回復しつつありますが、世界屈指の産地の面影はもはやありません。

コーヒー産地を巻き込んだ紛争の発生は1970年代~1990年代ごろがピークで、現在はだいぶ少なくなりました。しかし、今でもコーヒーの生産・流通に影響を与えている紛争も存在します。イエメンの内戦(2015年~)やミャンマーのクーデター(2021年)後の内戦などがそうです。イエメンでもミャンマーでも高品質なコーヒーの生産を通じた地域開発などが進められている最中で紛争が起きました。こうした直近の事例を見ても、コーヒーは紛争の抑止において無力だと言わざるを得ません。さらに言えば、コーヒーへの依存度が高い経済構造の国においては、コーヒー生豆の国際取引価格の下落が社会的な緊張を高めることになり、内戦などの紛争の遠因になることもあります。

 

コーヒーと平和構築


生豆の国際取引価格の下落が内戦の激化の一因となった例として有名なのが1990年代のルワンダです。この内戦は最終的に1994年4月~7月に起きたジェノサイド(大量虐殺)にまで行きついてしまいました。

ルワンダがほかの産地と違ったのは、内戦後の平和構築においてもまたコーヒーが大きく貢献したことです。

ルワンダの概況(当時)

ルワンダはアフリカの中央部(南緯1~3度あたり)にある、国土面積が四国の1.5倍ほどの内陸国です。西部に連なる山地と東部の乾燥地帯を除き、国土の多くは丘陵で、コーヒー(アラビカ種)の栽培に適した自然環境に恵まれており、実際にすべての州・郡でコーヒーが栽培されています。コーヒー農家も多く、現在は約36万戸と考えられますが、2009年の調査(National Coffee Census)では約40万戸と報告されていました。現在はコーヒー生豆の輸出額が全輸出額に占める割合は7%程度になっていますが、2010年の統計では24%でした。内戦終結から間もない1990年代後半から2000年代ではもっと大きな割合を占めていたことでしょう。

内戦後の国の復興にコーヒー産業が重要な役割を果たすことを認識していたルワンダ政府は、量よりも質で勝負する道を選びます(2002年策定の「国家コーヒー戦略」)。というのも、前述のとおりルワンダは平坦な場所の少ない小さな内陸国で低コスト・大量生産には向かないものの、その土壌や気候のおかげで高品質・高価値なアラビカを栽培・生産できるポテンシャルを備えているからです。世界的にスペシャルティコーヒーの市場ができ始め、高い品質に対する見返りが得られる環境が形成されつつあったことも後押しになりました。

高品質化への取り組み

高品質化・高付加価値化を実現するため、ルワンダ政府はコーヒー産業を自由化します。さらに外国(主として米国)の支援も積極的に活用します。代表的なのは米国の国際開発庁(USAID)が資金提供したプログラム(2000~2003年のPEARL I、2003~2005年のPEARL II、2001~2006年のADAR、2006~2011年のSPREAD)です。これらのプログラムでは、農業の指導、ウォッシングステーション(CWS:コーヒーの果実を水洗式で収穫後処理する施設)の建設やCWSでのコーヒー処理の指導、生産者組合の設立・事業計画立案の支援、カッピング・品質管理の指導、マーケティングの支援などが実施されました。

こうした取り組みの中でも特筆すべきはCWSの建設・運営と生産者組合の設立・運営です。CWSは2000年には2カ所しかありませんでしたが、これらのプロジェクトを通じて2010年には187カ所にまで増えました(現在は300カ所超)。CWSの増加に伴い、農家が各戸で果肉除去と乾燥を行って生産される生豆(ルワンダではSemi-washedと呼びます)に加え、CWSでの処理を通じて生産される生豆(ルワンダではFully-washedと呼びます)も次第に増えていきました。

コーヒーが平和構築に果たした役割

CWSでの処理すなわちFully-washed化は主に生豆の高品質化(とそれを通じたコーヒー農家の所得向上)を目的として進められましたが、同時に平和構築にも貢献しました。

従来のSemi-washedでは農家どうしの協力はほとんどありませんでした。畑は農家ごとにあり、農作業も収穫後処理も基本的には家族単位で独立して行われていたからです。しかし、Fully-washedになると収穫後処理はCWSで行われ、その主な担い手は農家の人々です。これまで各戸バラバラにしていた収穫後処理を、多くの農家がCWSに集まって協力しながら一緒に進めることになります。

CWSでのコーヒー処理(と生産者組合の運営)を通じて小規模農家は共通の目標に向かって協働する新たなインセンティブを得ました。共通の目標とは高品質なコーヒーの生産を通じて生活をともに向上させるということです。この共通の目標に向かって協働することは1994年のジェノサイドの余波の中でルワンダの人々が互いに和解するのに寄与してきたと言われています。

ルワンダの特殊性

コーヒーは内戦後にルワンダの人々の和解(民族融和)と平和構築に確かに寄与しましたが、これはルワンダ社会固有の状況にも大きく依存しています。

ルワンダの内戦は基本的には二つの民族(フツ族とツチ族)の間で起きた紛争でした。ただフツ族とツチ族は、他の多くの国の民族と異なり、同じ地域に混住し、同じ言語を話し、同じ宗教を信仰していました。両族の間で普通に婚姻もなされていました。なので、1994年のジェノサイドもこれまで仲の良いご近所さんだった人々どうしが殺し合うという悲劇だったわけですが、内戦後にコーヒー農家どうしがCWSで協働するというのは、ジェノサイドで加害者側と被害者側であった人々が肩を並べて仕事する、ということにほかなりません。

ある国において複数の民族が対立関係にある場合、民族ごとに別の地域に住んでいることが普通ですので、前述のようなルワンダの状況は特殊なケースに当たります。ルワンダのような特殊な条件が揃えば、コーヒーは平和構築に一定の役割を果たせると言うことはできそうです。

 

 


伊藤 亮太(いとう りょうた)
株式会社堀口珈琲 取締役CFO ( 最高財務責任者 ) / CSO ( チーフ · サステナビリティ· オフィサー)
大学卒業後、宇宙開発事業団(現JAXA)に10年間勤務する。2002年にコーヒー業界へ転身し、2003年に堀口珈琲に入社。以来一貫して海外のコーヒー関係者との連絡調整を担当する。2013年4月から2020年6 月まで代表取締役社長を務め、2020 年 7 月より現職。

 

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