パパ日記

10年の歴史

ブラジルの「マカウバデシーマ農園」は10年の付き合いになります。これだけ長い間継続して取引している事例は世界でもまれだと思います。

初めに取引した当時はブラジルの単一農園の豆の入荷はほぼ皆無に近く、単一農園の豆を使用するということ事態が特殊なことでした。
まだ時代は、コーヒーに生産履歴を求めるような時代ではなく、単一農園という価値観を
理解できるコーヒー関係者はほぼいませんでした。

 この当時スペシャルティコーヒーという言葉も日本では使用されていない時代でした。通常のプレミアムコーヒー(ブラジルNo2より付加価値のあるもの)以上の香味のものを探したいという欲求が強まりました。

 既存の大手商社や生豆問屋は、単一農園の概念を理解できずにいましたので、セラード地域のコーヒーを開発していたセラードコーヒーの故上原社長に相談しました。セラードコーヒーのコーヒーも、いくつかの農園の豆を混ぜブランドを作っていましたので、まずいくつかの農園単位で豆のサンプルをもらいました。

当時このようなリクエストにこたえられる生産国は皆無でしたので、このことは画期的な出来事だったといえます。もちろん購入することが前提でないと、上原さんにも対応はしてもらえなかったでしょう。

この時やっと新しい生豆の流通の萌芽が芽生えたといえます。
このような単一農園の豆を入手するために、10年使用するという長期使用を約束しお互いの信頼関係を築いてきました。

 

この時から堀口珈琲は、パートナーシップという概念での取引を模索することになります。世界的に見ても、この時期においては、このような考え方は斬新であったと思います。この成功からタンザニア、コロンビアと産地及び農園の開拓を始めました。


とにかく1つの農園と10年付き合った。これはすごいことだと思います。
この間紆余曲折はありました。今年の出来は?セラードの香味はこれで限界か?など。
数年前にはブルボン種を植えてもらい、今はそれを購入しています。


11-12
クロップは?
初めて取引した時の感動を呼び覚ましてくれます。
久しぶりに素晴らしい出来で、10年の苦労を忘れさせてくれます。
すべてはここから始まり、ブラックバーン、オズワルドなど多くの農園との関係がスタートしていきました。