パパ日記

M&A-1 米国のロースター

私が産地に行き始めた2000年ころは、まだデジカメの普及前で、それまでの写真はすべてプリントで残っています。
また携帯電話は中米ではつながりませんでした。
東チモールでは、通関で衛星電話を没収されたりもしましたし、2004年頃東チモールの山の尾根の一部のポイントから携帯が通じた時は感動しました。

 

 
この頃と現在では、スペシャルティコーヒーの世界は大きく変わり、その歴史も第3もしくは第4ラウンドくらいに入っているのではないかと感じます。
現在堀口珈琲は、世界中から100種の生豆を調達していますので、買い付けと同じように物流の管理が重要になりつつあります。

 

 

 

 

米国のスペシャルティコーヒーマーケットは、日本より急速に拡大し発展してきました。
日本の業務用コーヒーは、多くがコマーシャル及びディスカウントコーヒーで、米国も同じでしたが、米国ではコーヒーショップやレストランが従来の低品質コーヒーから比較的よいコーヒーに切り替える動きが顕著に見られ、業務用のスペシャルティコーヒーを扱う新しい会社が急成長してきました。

 

 
それらが、インテリジェンシア、スタンプタウン、カウンターカルチャーなどサードウエーブと言われた会社です。
2012年に訪問したインテリジェンシアは、当時年間40.000袋程度を扱っていましたが、すでに数名の買い付け担当と物流専門の担当を置くようになっていました。
もちろん米国のコーヒー使用量(23.761.000袋/1袋60kg換算)は日本(7.494.000袋/2015年推定)の3倍ですのでその消費パワーは異なります。

 

 

 

しかし、2000年の前半には米国でも、スペシャルティコーヒーがそれほど普及しているとは思えず、スペシャルティコーヒーを扱うインポーターも少なく、その使用量の多くはスターバックスやピーツコーヒーなどでした。
1996年、日本にスターバックスの1号店ができた際に、メニューボードにはグァテマラ・アンティグア、コロンビア・ナリーニョと書かれていたのをご記憶の方も多いと思います。

 

 

 

アンティグアはグァテマラの中で最高峰のコーヒーを生み出す産地ですし、コロンビアのナリーニョも同じです。2000年代前半は、アンティグアの多くの農園はスターバックスに買い占められていました。使用量が多いため、それらを混ぜてアンティグア産としていました。
当社のサンタカタリーナ農園の豆もスタバが主に購入していました。
しかし、2004年から私が少しづつ購入量を増やし、現在はほぼ全量を堀口珈琲が購入しています。
当時ナリーニョも日本入港は某商社の2~3コンテナしかなく、ほぼスタバに独占されていました。今でもスタバの影響力は強く残っていますが、ナリーニョの最高級品については当社スタッフが産地に入りおさえてきています。

 

 

 

2000年前後から成長路線にはいる米国の新しいロースターは、数少ないスペシャルティコーヒーを扱うインポーターから生豆を調達していました。
しかし、サードウエーブの急成長は生豆の取扱量を増加させ、自主的に生豆を買い付けるという方向に向かわざるを得ませんでした。

 

 

ダイレクトトレードのためには多額の資金が必要になりますが、企業業績が安定していれば、米国では資本を提供する個人や会社も多くなります。
創業時の小規模経営から少しずつ変化、成長し、多くの企業が会社を売却する、もしくは買収するなどの動きが当たり前になっていきまました。
米国のスペシャルティコーヒーの歴史は、その過去を振り返れば会社買収の歴史として見ることもできます。

続く