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乃木坂

2017年3月25日

「リストランテ山崎」で久しぶりにランチ。
マネージャーの太田さんによると、髙塚シェフはやめられ、現在はハワイのフォーシーズンホテルのシェフのようです。髙塚さんは日本でのレストラン経験なくイタリアで働いた経歴の持ち主で、マダムがその才能にほれ込み若くして山崎のシェフに抜擢したのでしょうからなんとなく理解できます。

 

 

 

歴代のシェフには、「アクアパッツア」の日高さんや、「リストランテ濱崎」の濱崎さんなどがいます。
新しいシェフは、矢島さんで新しい山崎の味を生み出していくと思います。

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太いパスタはゆで時間が20分かかるとのことでしたが、なかなかの逸品です。
コーヒーは、しっかりした味わい堀口珈琲です。
太田さんが入れた渾身の一杯でした。

 

 

帰りは青山1丁目のエイトコーヒーまで散歩し、プリマヴェーラブレンドをいただく。

タンザニアの「ブラックバーン」を飲みながら書いています。

 

 

 

 

銀座

2017年3月24日

一昨日は銀座エスコフィエで、昨日は銀座「五明」で会食。
共に最後に堀口珈琲が飲めます。
胃が悲鳴を上げていますので、今日の食事は朝食のパンと蕎麦くらいで終わりにします。

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海のサラダ とスズキのクリームソース

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蝦夷アワビと秋田牛のヒレ

パンとコーヒー

2017年3月24日

パンとコーヒーは切っても切れないような間柄ですね。

日本橋高島屋の8階で「心地よい朝からはじまるおいしい暮らし」という催事が27まで開催されています。朝ということで「リチュエル」「ツオップ」さんなどたくさんのパン屋さんが出店しています。
コーヒーも必須ということで堀口珈琲も出店しています。http://www.takashimaya.co.jp/tokyo/breakfast/index.html

堀口珈琲はコーヒーをペーパードリップで一杯540円でご提供しています。
飲食できるスペースも広くとられていますので、朝食もしくは昼食にお立ち寄りください。

 

 

当方は、すぐに売り切れてしまう食パンをスタッフに買ってきてもらいました。
トーストせずそのまま食べてくださいというパンのようです。
感想はいずれ。

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東京では、バケットのおいしい「ヴィロン」が、銀座に食パン専門の「セントル・ザ・ベーカリー」を作ってから食パンブームに火をつけ、関西では京都人の好きなサンドイッチ、大阪人の好きな食パンが広がっているようです。
東京では昔から「ペリカン」さんが有名ですし、浅野屋さん等あげたらきりがないです。
渋谷の東急本店前「ヴィロン」は、フランスの粉を使い一時代を築いたパン屋さんでいまでも魅力があり、その2階のビストロにはたまに出かけます。
最近は、30年前に開店した富ヶ谷「ルヴァン」が切り開いたハード系のパン屋さんも増え、日本のパンもなかなかよくなってきました。またさまざまに変化というか進化しています。

 

 

 

フランス系パン屋は「メゾンカイザー」や「ポール」等が日本の会社と組み?多く出店していますが、なかなか高いレベルのパンを作っていると思います。カイザーは、日本出店の際、新宿伊勢丹で催事を行いましたが、その際堀口珈琲も出店していましたのでそこで初めて食べました。
多くのフランス系のパン屋が百貨店内で、日本のパン屋というか菓子パン屋になってしまうことも多くみられますが、場所柄幅広いパン屋と見ればよいでしょう。
カイザーは最近良くなっているように思います。
百貨店では、「エデュアール」もよく買います。

 

現在の旬のパン屋さんは、混んで簡単に買えませんのですみません、教えません。

 

 
私は、正月及び旅館に泊まった翌朝を除き毎朝食パンをトーストしてたべます。
したがって、外出した際は食パンを様々なパン屋で買い2日で消費します。
毎日違うパンを食べることはかなり難しく、地元の場合、千歳船橋サンジェルマン(2/末(閉店)「パンドミー」、ヒロの「天然酵母」、成城石井の「酒種」、紀伊国屋の「イギリス」、神戸屋の「イギリス」などもたまに買いますが、パスコの「超熟」も買います。
様々なパンを食べますが、朝は食パン系です。

 

パン屋さんの販売方法は、セルフが多く衛生面で売り方としては問題があり、最近はケースに入れて対面販売する方向に移行しつつあります。また、原材料がわかりませんのでがここにも問題があります。
食パンには、、卵、砂糖、マーガリン、ショートニングなどが添加されていますので、表示の問題にパン業界は取り組むべきだと思います。
(大手の工場生産の梱包された流通パンには勿論表示があります。)

 

 

パン屋さんは、トーストせずそのまま食べてほしいという人も多いですが、現実的には購入翌日に食べますのでトーストします。
トーストしたパンには、フランスの醗酵バターが必須で、成城石井の本店で「セル・ドゥ・メール」という粗塩の入ったバターを買います。いろいろ試したのですがガッチリした味に塩加減がよく、今はこれに落ち着いています。カルピスバターもたまに使います。

 

 

パンにコーヒーのみで質素ですが、これが至福の朝食です。
行動はパターン化されていますので、皿とバターナイフ、バターを準備し、コーヒーを抽出しながらタイミングを見ながらパンをトーストします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本のフレンチ創生期 最終

2017年3月20日

3群は、新たに街場のフレンチを築いていった、新しい世代のオーナーシェフたちです。
ここから日本のフレンチは大きく花開いてゆきます。
その第一世代はみな団塊世代前後ですので70歳に近づいています。
現役でいまなお活躍しているシェフは少なくなりました。

 

 

 

銀座「レカン」のシェフから、1984に京橋「シェ・イノ」を開業した井上さんは、1945年生まれですので、もう調理場にはいないでしょう。厨房の中で若いスタッフたちには、声もかけられないくらいの雲の上の存在で、その緊張感が異常とも思える雰囲気を感じたことがあります。
その料理は様々な店で受け継がれています。
代々木上原の「ラ・ファソン古賀」の古賀さんは「シェ・イノ」の初期に在籍していましたので、しっかりした味のフレンチを楽しめます。カウンターで堀口のコーヒーを飲みながら当時の話でも聞くのもよいでしょう。

 
1952年生まれ平松さんの「ひらまつ亭」は1982年開業で、1991年には広尾に巴里そのもののような「カフェ・デ・プレ」をつくっています。当時それは余りに画期的でした。
その後レストランウエディングのさきがけ、パリ進出、多店舗展開し、高級レストランから年商110億の上場企業にまで成長していますが、昨年会長に退いています。
個人的には、初期の「レストランひらまつ」時代が懐かしいですね。
ただ、時期堀口のコーヒーサンプルには関心がないようでした。
最近は、新国立美術館内に行った際に(大体は一人ですが)ひらまつ経営の「ポール・ボキューズ」で食べるくらいです。

 

 

1948生まれの石鍋さんは、フランスから帰国後六本木の伝説の店「ビストロ・ロデュース」で料理長を経て1982年に「クイーンアリス」を開業しています。当時の「ロデュース」は、フランス料理の先端を行くような店だったと思います。
当時私より若い客はいなかったでしょうから、当時の店を覚えている人も多くはないでしょう。

「クイーンアリス」は、1980年代に一世風靡し、多店舗展開し、1990大はTV「料理の鉄人」でさらに著名になりましたが、多くは閉店し、今は横浜ベイホテル東急内にプロデュースした店が有名です。
だだし、内装は、フレンとは思えないような独特の雰囲気で微妙です。
石鍋さんは、最近はどうしているのでしょう?

 

 

 

「オテルド・ミクニ」の三国さんはフランスから帰国後、四谷で華々しいというか、料理の斬新さで衝撃的なデビューをしました。予約がとれなかった時期です。
開店から30年たち、店も増え今では大御所です。
2年前に久しぶりに本店に沖縄「山田珈琲」の山田君と再訪した際、複雑な印象を受けました。

自宅にあるワインと飲み比べるためにグロフィエの2008年を開けました。
この年のブルゴーニュは酸が強く、中野の「MUTO COFFEE」開店前に、武藤さんが持参してくれたDRCを銀座のワインバーであけた2008も、某氏と新宿のワインバーであけたルーミエの2008のルージュもそうでした。もう少し置いた方がいいのかな….?よいワインは林業のようなもので、長期のスパンでとらえなければなりませんので、そこが厄介なところです。
三国さんとは、個人的接点はなかったのですが、支店のシェフたちの中には堀口珈琲を使いたい方もいましたが、三國さんはあまりコーヒーには関心はなかったように記憶しています。
しかし、長く食育をやられているところは尊敬します。

 

 

 

最後に、1950年生まれの三田の「コートドール」の斉須さんに触れなければなりません。
フランスでの活躍は有名で、日本のどこに店を出すのか注目されていました。

食べに行くには不便な三田のマンションの1階に開店した時は驚きでした。
斉須さんは、多くのシェフが多店舗展開する中で、三田の店のみをかたくなに守る一途で真摯な方です。20年以上前、海のものとも山のものともつかない私を信頼して店のコーヒーを任せてくれました。
時代に流されず同じ開店時のメニューを今も食べることができます。普通は飽きられてしまうのですが、圧倒的な料理の力強さは時空を超えるかのようです。
新しい料理も生みだし、現在のヌーベルなフレンチとは異なります。

 
この店の厨房は、手入れが見事に行き届き、ランチ、ディナーの後に調理の影を見いだせないくらいピカピカに磨きます。こうしてスタッフは料理に向き合う姿勢を鍛えられていくのでしょう。
何度も厨房を拝見しましたが見事でした。
厨房の見えるレストランを初め、衝撃を与えたのは神宮前のイタリアンですが、話がそれますのでいずれ。

 

 

「コート・ドール」は、店の雰囲気、料理の質と量、サービスをトータルに考えると他のグランメゾンに比べかなり価格は安いと感じます。例えば、牛尾の赤ワイン煮込みは、一人前に赤ワインを1本使用しますので、一皿の値段としては良心的です。
ゆるぎない精神が生み出す孤高の料理とでもいえばよいのでしょうか。
ぶれないですね。
この店の出身者は多くいます。
まだ、多くの団塊の世代のシェフがまだ活躍していますので、近況を知りたいですね。
料理場から出てしまう前に訪問してみたいものです。
ケーキ業界も同じように、団塊の世代は、堀口珈琲世田谷店前の大山さんや弓田さんなど多くいます。

 

青山の「ジョエル」(閉店)を書き忘れていました。
堀口珈琲を理解してくれた初めてのフランス人でした。
スタンダードなリヨン料理をベースに初期の日本のフレンチを牽引したと思います。
ポール・ボキューズと関係のあった「レンガ屋」開店時に来日しています。
ヒルサイドテラスにあった「レンガ屋」はもはや伝説のフレンチとなってしまいました。

 

「ポール・ボキューズ」は、リヨンの三ツ星レストランで、ジョエル・ブリュアンは、そのスーシェフとして活躍していたようです。1980年に青山に「ジョエル」(現在のスパイラルビルの横のビルの2階)を開店し、その後代官山の「アントニオ」のピエトロさんなどとの関係でコーヒーを使ってもらいました。
日本語も上手になり、いろいろわがままで、様々なコーヒーを提供した記憶があります。

 

 

スズキのパイ包焼きなどの伝統的料理を食べた記憶があります。
スズキはよくつかわれる素材で、六本木・飯倉片町の「レストラン・プロヴァンス」(閉店)で大きなスズキのレモンクリームソースを食べた記憶もあります。日本のフレンチの創生期ですね。

その後、ヌーベル・キュイジーヌブームやその後の日本人の多くの店が開店し、ジョエルのスタンダードな料理は時代とともに受け入れられなくなっていったと思います。
もはや、「ジョエル」や「プロヴァンス」で食べた料理は、日本で食べることは出来ないでしょう。
尚、「ポール・ボキューズ」は、ひらまつさんが日本で展開しています。
今はなき伝説の店も多くありますがくどくなりますので、一旦フレンチは終わります。

 

 

ヴェネチア派絵画-3

2017年3月18日

東京都美術館は、前川國男さんの設計で、
広場、ロビー、レストランの食スペースが重視されています。
ロビーや資料室のなどのテーブル、椅子がミッドセンチュリーデザイン物が多く、デンマークのデザイナーであるフィンユールのデザインの家具が目につきます。
キタニがライセンス生産しているものと思いますが、50万、100万以上の椅子やテーブルがさりげなく使用されていますので、設計者のよいものを使うという考えはすばらしいですね。

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北欧では、職人がいなくなりデザインを生かせなくなり、日本の会社が作るような時代になっています。

 

ヴェネチア派絵画-2

2017年3月18日

東京都美術館1階に「IVORY」というレストランがあり、期間限定メニューをいただきました。
イタリアの食材を使用したコース料理で、ポレンタ、米粒のようなパスタ、イタリア産の豚にヘーゼルナッツのティラミス+コーヒーで4.320円。
テーブルクロスをかけるきちんとしたサービスのレストランで、
ローストビーフが売りのようですが、ベースはフレンチでしょうか?

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ヴェネチア派絵画

2017年3月18日

ローマからバスで3時間くらい、キリスト教徒の聖地のひとつであるアッシジの聖フランチェスコ聖堂は、丘の上にあり、ジョットのフレスコ画が20枚以上壁面に描かれています。
ルネサンス初期というか中世なのか?微妙なところですが、絵画は油絵の技法が開発される前のフレスコ画で、色あせていますがイタリアの国宝のようなものでしょう。

 

 

当時はキリストと聖母マリアと聖人しか描かれず、人間は絵画の対象とはなっていませんでした。
字の読めない人が多く絵で布教したのでしょう。
この時期の絵画はみな無表情で、人間の感情は表現されていません。

 

 

ルネサンスは、再生とか人間復興とかいわれます。
古代ローマやそれ以前のギリシャ文明は、芸術や文化、哲学などを生み出しましたが、キリスト教の普及の中で、神が絶対となり、聖職者、国王の序列が生まれ、人間は神の僕というのが中世で、暗黒の時代だったのでしょう。ルネサンスは、かつてのローマ文明に目を向け直したもので文学、建築、科学など新しい世界が開けた時期といえます。

 

 

 

東方貿易の起点でもあったヴェネチアはイスラムとの交易で発展し、新しい文化を生み出したわけです。中世の人々は、抑圧され、古代ローマの存在を知らずいたようです。
十字軍遠征時か後か?、スペインがイスラムに征服され、その後奪回した際に、イスラム人が書き記した文献にローマ帝国の存在が記されていて、そこでキリスト教徒が1000年前のローマ文明を知ったと.何かの本で読んだ記憶があります。

 

 

さて、この時代に油彩も発明され、絵画は飛躍的に発展します。
特にヴェネチアは湿気が多く油彩が発展しています。
ティッアーノの描く女性は少し妖艶でその後の絵画に影響を与えます。
他方、フィレンツエではレオナルド・ダビンチ、ミケランジェロなどが活躍します。
堀口珈琲の「プリマヴェーラブレンド」は、ルネサンス期のボッティチェリの絵画「プリマヴェーラ」からとったものです。ルネサンス絵画好きですのでご容赦。

 

 

 

ヴェネチア絵画のティッアーノ、ティントレットなどはルネサンス期を代表するヴェネチア派の画家です。
上野の都美術館「ティッアーノとヴェネチア派展」に出かけましたが、印象派などに比べると地味ですので人は少ない印象でした。
ティッアーノの絵は少なく、著名なものは「フローラ」「ダナエ」「マグダラのマリア」など5~6点しかなく、よく主催したなというところでしょうか。
日伊国交150周年でなければない企画でしょう。

 

 

 

最も有名な絵であるローマのボルゲーゼ美術館にある「聖愛と俗愛」、フィレンツエのウフィッツにある「ウルビーノのヴィーナス」は来ていませんでした。ヴェネチアのサンタマリア・グロリオーザ聖堂の「聖母被昇天」は持ち出せないでしょうから、現地で見るしかないですね。
ヴェネチアのアカデミア美術館にも絵はあり、すべてイタリアで鑑賞しています。
昔、ヴェネチア人のガイドに絵の説明を受けた際、「ナポレオンが絵を盗んでいったので、これはレプリカだ」とフランス人をなじっていたのを思い出しました。
ルーブルには、ベネティア派などルネサンス絵画は多くあります。

 

 

ティントレットの絵も数枚ありましたが、物足りないですね。
彼の「聖母被昇天」はヴェネチアのアカデミアかどこかの教会にあるはずです。
この絵は以前、国立新美術館の「ルネサンス展」?で来ていたと思います。
聖母マリアの死後8/15日の昇天がテーマですのでさまざまの画家の多くの絵が残っていますので比べるのもよいでしょう。「最後の晩餐」なども様々な画家が描いています。

 

 

最後に、ヴェネチアに行ったらティントレットの巨大な「天国」という絵を見てください。
豪華なドゥカーレ宮殿にあります。
中央の聖母マリアを自分の娘に似せて書いたとヴェネチア人に聞いた覚えがあります

 

 

 

ヴェネチアに行く際はガイドしますよ。
ローマから、列車でフィレンツエ、ボローニア経由でヴェネチアに入る場合は、駅の改札を出るとすぐ運河ですので、船でのんびりホテルの近くの船着き場まで行くのがよいでしょう。

ローマ、ミラノから飛行機で入る場合は、バスでローマ広場経由で水上バスを使うか、水上バスでサンマルコなどに向かうかなど方法はあります。
エアポートから水上タクシーのモーターボートで突っ走りホテルにチェックインするのはとても楽です。
(数人で利用すれば安くなりますが、船着き場のあるホテルは限定されます。ない場合はどこかの船着き場に。)
往路はローマ着で列車移動、復路はヴェネチアからローマ経由成田がいいと思います。

 
行けない方は、ジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリーの共演の映画「ツーリスト」をみて我慢してください。

 

 

グァテマラとルワンダ

2017年3月17日

たまには、コーヒーについても書かないとお叱りを受けそうなので…….。

 

 

ブルボンとティピカは、共に伝統的な品種で、同じ栽培地の場合酸の強さや質は同じですが、テクスチャーの影響で酸の感じ方の印象は異なります。

 

 

コーヒーの場合のテクスチャーは、5味のように化学的成分に基づくものではなく、口腔内で感じる特性である脂質のコロイド特性、硬さ、柔らかさ、粒度感、滑らかさ、のどこしなどの物理的感覚で、コーヒーの場合はコクといってもよいでしょう。ティピカ、ブルボンは、同じ標高のエリアでも異なる香味を生み出しますので品種特性といえるでしょう。

 

 

グァテマラの「ベルヘル」のフレグランス(粉の香り)フローラルな甘さがあり、柔らかな酸となめらかな舌触りがあります。この時期にこの香味を維持しているのは驚異的で、収穫後の精製、とりわけ乾燥、選別などがよいのでしょう。
25gで3分くらいかけ240~260g抽出くらい、ややしっかり目に抽出する方が明るい酸の個性が出ると思います。この酸は柑橘類のクエン酸でオレンジベースでややキウイなどのニュアンスを感じます。この「ベルヘル」や他のグァテマラのブルボンを購入する場合、同じブルボンの「ルワンダ」を買われることをお勧めします。

 

 

 

「ルワンダ」は東アフリカ産のブルボンです。東アフリカのエチオピアやケニアのコーヒーは様々な個性がありますが、それ以外の生産地にはそのような特徴的な香味はありません。
多くの場合、「ルワンダ」の優れたコーヒーは、グァテマラのアンティグアや他の優れた生産地のブルボンに、その酸やコクなどのバランスで近いと思います。
しかし「ルワンダ」には、時として、在来品種のエチオピアのウオッシュトなどに近い独特の香味を見出せる場合があり、アフリカの香味の多様性を示唆します。
この「ルワンダ」は、その意味で特別な香味を持つ優れものです。
柑橘系の酸をベースに、華やかな酸の余韻が残ります。
グァテマラ時らべ、酸の強さには違いはありませんが、有機酸の組成が異なると思います。
ワイン風にいうと赤い果実系の果実なのですが、オレンジママレーに甘いハインの果汁が入ったような印象もあり独特の華やかさを醸し出しています。
このようなルワンダは、そう簡単には遭遇しないでしょうから、おためしください。

日本のフレンチの初期

2017年3月15日

日本の1980年代から1990年代の初期のフレンチは、個人的には以下に区分していました。

1.「エスコフィエ」(1950)、「マキシム・ド・パリ」(1996開店)伝統的な店。
2.「レカン」(1974)、「アピシウス」(1984)「トゥール・ジャルダン」など豪華な店。
3.「ビストロサンノー」「オーシザーブル」などのビストロ。
4.「ひらまつ」、「シェ・イノ」「クイーンアリス」「オテル・ド・ミクニ」「コートドール」オーナーシェフなどのレストラン。
5.「ジョエル」「パッション」などのフランス人シェフの店。
その後多くのフレンチが開店し、そこからあとの店は様々な媒体で知ることができると思いますので省きます。

 

 

 

1群は、伝統料理をベースとした老舗「エスコフィエ」は、1990年の堀口開業時からコーヒーを使用してくれた初めてのフレンチレストランで、開店時の焙煎の未熟の私を理解してくれた最初の方が平田社長でした。話は尽きぬくらいあり多くは省きます。

 

 

「シュバリエ」(三田)のフレンチ兼ワイン輸入商の太田さんとの接点も平田さんとの関係から生まれました。太田さんは40年も毎年生産地に通うような方で、世界でも類を見ないようなワイン商であり、そのセミナ―を数年間毎月受講していました。

アカデミックなソムリエではなく、産地直結のたたき上げの職人魂のある方で、現在の多くのソムリエとは世界観が異なりました。セミナー内容も、多くのワインスクールとは異なり型破りで、ワインのテースティング技法の一面を垣間見ました。
よくやったのは、同じワインで、1.抜栓後空気に触れている上部の30mlを抜いたもの、2.抜栓後2時間たったもの、3、デキャンタしたものを飲み比べるなどワインの状態変化を見るものや、同じワインの輸入元の違うものを比較したり、同じ地域の同じ品種で生産者の違うものを比較したりしました。
また、20種のフルーツを刻んで、数種のワインの香味の中にあるものを探したりと実践的なことをしてきました。

 

 

そこでの個人的な関心事は、「ワインがいつ飲み頃になるか」「いつまで香味がもつのか」などで、常にそのような意識でワインを飲んでいました。

 

 

このような経験から、2000年以降、生豆を購入するに当たり、空輸サンプルなどの評価の際に、「このコーヒーがどのような状態にあるのか?サンプルの香味と入港後の香味の差異はどの程度生じるのか?」「どの程度香味が維持されそうか?」さらに「どの程度の焙煎が可能なのか?」などの観点からカッピングしてきました。コーヒー業界ではこのような発想は稀有だったと思います。
これらは、ワインから学習したものの一つで、その後のコーヒーセミナーのベースともなっています。

 

 

 

昔はワイン関係者で、毎年産地に行き、生産者と会うような人はほとんどいませんでした。
コーヒーの世界も、15年前でも商社マンもエクスポーターとのつながりのみで、生産者とのコミュニケーションは極めて少なかった時代です。
太田さんの影響もあり、私は産地に行き、生産者と会うことが当たり前と考えるようになりました。
2000年代の初期は、生豆の品質に目を向け、その品質によりコーヒーの価値を判断し、差別化する始まりの時代ともいえ、過去の数十年のコーヒーの歴史を転換する革命的なムーブメントの時代だったといえます。

 

 

蛇足ながら、1990年代当時は、「エスコフィエ」のコーヒー代の支払いは小切手で、毎月月末に集金に出かけました。毎月行きますのでコミュニケーションはとれますが厄介な面もありました。
しかし、私のサラリーマン時代は、小切手や手形などでの支払いは当たり前で、商用車など高額のものは90日サイトの手形で支払っていました。
今でも蕎麦屋などの飲食店や小さな個人商店では納品と同時に現金支払いという商習慣は多く残っています。今の時代は振込すればよく便利になりました。

 

 
最近、個人で明治の牛乳を宅配でとっていますので集金があります。また新聞も集金ですし、クリーニングも集金です。もっと、もっと昔の昭和の時代は、勝手口に酒屋や乾物屋やさまざまな商店の御用聞きがきたものです。

 

 

「マキシム・ド・パリ」は、45年間営業したフレンチの象徴的な店でしたが、本国との契約切れなのか?2015年に銀座本店及びケーキショップなども全店閉店しています。
敷居が高く一度も行ったことはなく接点はありませんでした。
 

 

2群は、ビストロとは対照的で豪華なインテリアの店で、高級店として認知され接待などの顧客も多かったと思います。

「アピシウス」の初代料理長は高橋さんで長くシェフを務めています。
六本木ヒルズのできた時に、高橋さんはこじんまりとした「パ・マル」(現在閉店)を出店しましたが、縁ありコーヒーを使っていただきました。開店前に伺った折に「コーヒー屋ばっかしか来ねえよ」という言葉が今でも印象的に残っています。コーヒーの営業はビールと同じように大変な時代だったと思います。

 

 

 

当時の、喫茶店は、店で使うコーヒー以外の食材や備品は焙煎会社から購入していました。
今でも、焙煎会社は、車でデリバリーするのが一般的です。
業界の競争が激しくなるにつれ、喫茶店は次第にミルやコーヒーメーカー、看板まで借りて営業していくいようになっていました。エスプレッソマシンを使うレストランもマシンを借りている場合も多くありました。
商売道具を自分で買わないのだ….と当時驚いたものです。

業務用コーヒーの世界は過当競争、ディスカウントの時代で、それが今でも続いています。
喫茶衰退の原因の一つに、コーヒーの質の低下も挙げられます。
当時コーヒーを使ってもらうにも、初めに焙煎会社の「ひもつき」でないか?を確認することから始めなければなりませんでしたので、私は、1990年の開業後数年で自らコーヒーを売り込むことはやめました。
また、基本的にはコーヒーを配達することもできませんでしたので、宅急便を使用しました。

 

 

 

「レカン」は、銀座4丁目のミキモト本店の地下にあり、ビストロで食べている時代に最初に行ったグランメゾンです。最近ビル建て替えで一次休業しましたが、その後どうなったのか確認していません。

初めての訪問はまだ若い時期でしたので、銀座そのものは敷居が高く、若造が行くような店ではありませんでした。
薄給でしたので、どうやって2人で20.000円でおさえようか悩みつつ、前菜、メイン、ワインを選びましたが、選んだワインを「この料理には会いませんが…」といわれ、その時からソムリエが嫌いになりました。
お金がなく、一番安いワインを選んだのに……。
すみません、今は大好きなソムリエもたくさんいます。

 

 

 

その後、他に多くのレストランが出来、順番に食べに行っていましたので、「レカン」に行く余裕はありませんでしたが、数年前雑誌の企画でソムリエの大越さんと対談しています。大越さんはフランスに留学した方で、現在独立され、ワイン関係の仕事をしていると風のうわさで聞いております。
先日雑誌整理の際かなり処分してしまいましたので残っているかどうか….?

対談といえば、10年以上前に「マクシヴァン」の佐藤さんとも対談し、それ以降コーヒーを使用していただいています。これも何の雑誌か覚えていません。
佐藤さんとの話はこれまたいろいろあり、セミナーにも一時期よく参加しました。
こちらのセミナーは、ボルドーの1級を年代ごとに飲むとか、シャンパンの比較など今では考えられないような大判ふるまいの赤字覚悟のようなセミナー兼食事会でした。
業態はワインバーですが、ここのフレンチはなかなかおいしく、佐藤さんの味のコントロールはなかなかです。

 

 

私が、ブルゴーニュが好きなのに酒が弱いことと、一回に支払える限度額が限られていることを知っていると思いますので、高額のワインは出してきません。がそれなりの香味のピノノワールを「ムッシュにはこれ」と勝手に選択してくれます。

 

 

尚、手持ちの高額のワインを開ける際は持参し、佐藤さんに抜栓してもらい確認してもらいつつ、一番良い状態で飲めるようにしてもらいます。そんなこんなで、よく行きましたが、NHKのプロフェッショナルに出てから、店が混んで数年いかない時期があり、最近も行く回数は減っています。
日本のトップソムリエですが、気さくな方です。

 

 

 

「マクシヴァン」に行ったら、最後はエスプレッソでしめてくださいね。
話しがずれますがご容赦…..。

次は 話しの脈絡がなくご容赦ください。

ミシュランとドレスコード

2017年3月10日

ミシュランが日本のレストランに星を付けるようになったのは2007年からでしたが、そのころからややフレンチから遠ざかっていきました。お墨付きなると考える店主が多かったと思いますが、私のようなフレンチ好きには少し違和感があり,敷居が高くなりました。

 

 

当時一番の問題点は、その選定結果から、1.だれが、どのような基準で選んでいるのかが読み取れなかったこと、3.不自然と思える選定がみられたこと、2.星がつくと新しい顧客が増え、それまで店を支えてくれた常連が入れなくなることでした。しかし10年もたつと、ある程度そのような問題も解決されたかもしれません。星の有無で店を選ぶというようなこともなくなりつつあり、それぞれの店が棲み分けできるようになってきていると感じます。少しは洋食文化が成熟したといえます。

 

 

 

ランチには、食べること好きの女性たちが多く見られますが、本来の店のスペシャリティはディナーにあり、食べ手は昼と夜で入れ替わります。高価格帯の店は、お金に余裕のある食通及び接待に限られ、中価格帯は少し背伸びをした食好きの女性たちも多くなります。しかし、食のジャンルは多様でありフレンチのみを継続して食べ続ける食べ手は少数となります。女性の場合であれば、結婚、出産後にディナーに行く回数はかなり減るでしょうし、男性も食通ばかりではありません。
私鉄の沿線のフレンチで、料理のみで一人5000円を超え商売できる店は少なく、どうしても都心部に店が集中することになります。世田谷でも、焼肉や寿司には5000円以上支払いますが、フレンチでは高いと思ってしまうところが、まだまだ大変なところでしょう。

 

 
街場のフレンチの歴史は、1980年前後のビストロから40年しかたっていないとみるか?40年もたったとみるか?その見方はなかなか難しいところです。

 

 

フレンチレストランのドレスコードは、30~40年前に比べかなり緩くなり、ほとんどの場合ディナーでも襟付きジャケットにシャツで大丈夫です。ディナーでネクタイ着用まで求める店はほぼなくなりました。
前述の「トゥール・ジャルダン」ではネクタイを求められ、キャンセルした経験がありますが、あとはどこがあるでしょう…….?

 

新宿パークビルの「ニューヨークグリル」に、真夏の夜に短パンでいったら断られ(昼は大丈夫なのですが)、長ズボンを借りたことがあります。(今は貸していないようですのでご注意)
ここは、ホテルのランチのビッフェ(前菜とデザートはビュッフェでメインは選ぶ)は、おそらく日本で最もコストパフォーマンスが高く、味も良質だと思います。
ホテルビュッフェは流行っていますが、多くの場合質は低いと思います。

 

ここのシャンパンはルイ・ロデレールで高いですのでビールにすればよいでしょう。
またステーキを頼むと昼でも10.000円どころですまなくなくなりますので無理して食べないように注意してください。好きなレストランですが、最近はサービスにやや難を感じる時もあります。

 

 

ついでに、ホテルのコーヒーに関していえば、多くの場合良質のものにはなかなか遭遇しません。
ロブスタの重い味のコーヒーなども多く、そのひどさを上げればきりがありません。
これは多くのレストランのコーヒーやケーキのイートインなどにもいえることで、コンビニのコーヒーが「おいしい」というのもこのようなところに原因があるのだと思います。

 

 
さて、高級店はハレの時間ですから、おしゃれをした方がよいのでそれなりの服装は必要です。
私は、この仕事を始める際に、ネクタイとスーツは着ないと決め、すべて処分し、その後もスーツの購入歴はなく、冠婚葬祭用、タキシードくらいしか持っていません。
タキシードは日本ではほぼ使用する機会はありません。
夜のパーティーでもスーツもしくはスマートカジュアルでお越しくださいと書かれていることも多く、タキシードにエナメルの靴など行ったら浮いてしまいます。
そもそも電車に乗れませんので着替えるしかありません。

 

 

スーツはありませんので、SCAJの理事会出席者で私だけジャケットも着用せずカジュアルで出席しています。
しかし、レストラン用として最低限ジャケットくらいはありますが、昔のスキー場での「むち打ち」の後遺症でネクタイをしめることができません。首が苦しくなりTシャツも着ることができません。
本当はネクタイをして、ドレスアップし、気取って、グランメゾンにも行きたいのですが…..。

 

 

日本のグランメゾンに続く

 

 

 

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