パパ日記

生豆の品質の進化

いろいろな方にスペシャルティコーヒーを説明しなければならないことを痛感しています。
メディアの方やコーヒー関係者もその歴史を認識していない方が多いですね。
スペシャルティコーヒーは、曖昧な概念でもありますし、そのムーブメントを体験していない方も多く、やむを得ないともいえますが、プロセスがあって今があるということくらいは理解してほしいと思います。
現状のスペシャルティコーヒーマーケットは、十数年の歴史の中で形成されたものでサードウエーブという曖昧な言葉でくくられる会社や店が新しいわけではありません。
2000年代前半のスペシャルティコーヒーの動きはあまりに急速で、まさに革命的であったと思います。この歴史を誰かが伝えなければならないのかもしれませんね。

このあたりについての解説はもうこれで最後にします。

 

堀口珈琲は、よい生豆を確保する為2002年に堀口珈琲研究所を作りました。
当時業界では、栽培、精製と香味を関連してテースティングすることはほとんどありませんでしたので、私の取り組みは試行錯誤の中にありました。
そもそも当時の多くのコーヒー関係者は産地に行って現場を見ていませんでしたし、2000年代初期の世界的に一番激しいスペシャルティコーヒーの動きの潮流の中にいませんでした。

 

 

堀口珈琲は2001年から産地に行き、パートナーシップの関係を構築しつつ、日本国内での独占的販売をめざしてきました。これは日本国内のみならず世界的に見てもスペシャルティコーヒーの先駆的動きだったと思います。北欧や米国の一部の会社も同じような試みを模索していたと思います。

 

 

自社分の使用量では生豆の購入は困難でしたから、1コンテナ分の使用量の確保のためLCFというビーンズショップのグループを作りました(現在の加入店は120店となっています)。
2003年にはSCAAのカッピングフォームもでき、85点以上のスペシャルティコーヒーを探し今日に至っています。この85点という水準は、明確な特徴的香味のある生豆を意味し、多くは収穫されませんので貴重な豆となります。
今や世界中の急成長会社やマイクロロースターも、これらの生豆に関心を持ち始めつつあり、今後その争奪はし烈になり、価格も高騰すると推測されます。

 

 

2000年代からおおよそ10年が経過し、スペシャルティコーヒーがなんとなく浸透したときに、それを新鮮と感じる新しい世代が北欧、米国そして遅れてオーストラリア、ニュージーランド、日本、イギリス、韓国などに生まれてきました。
多くはマイクロロースターでしたが、そこから急成長した会社もあります。

しかし、考えてみれば日本でも2001年頃からスペシャルティコーヒーのムーブメントがあり、2000年代には年間約250店のビーンズショップが開店していました。おそらく2000年代の10年間に2000店以上の店が開店していると思います。大部分は零細ですが、それは世界に類を見ない多さでしょう。
2010年代のビーンズショップの開店は2000年代に比べ多くはありません。

 

 

2000年代と比べると2010年代は、よりトレサビリティは明確となり、生豆の品質は向上しています。
10年以上の間の品質に対する取り組みの試行錯誤がなされた結果だと思います。
2010年代はさらに精製方法などに多様な実験がなされ、それに伴い香味も多様になりつつあります。
樹上での完熟、完熟したチェリーの選別、パティオからアフリカンベッド、ウオッシュトからハニーやナチュラルのプロセス、陰干しの乾燥など様々な試みがなされ新たな時代に入っていると感じます。
生豆の品質、香味の世界は、まだまだ発展途上であり、今でも常に変化、進展しています。
コーヒーの香味の多様性はこうして生まれていきます。
この香味の素晴らしさを消費者の方に伝える道案内をするのが堀口珈琲の仕事の一つです。