パパ日記

コーヒーカップ

今朝のコーヒー
イエメン バニマタリ  フルシティ
先日のバニマタリを常温で保管しておいたもの。
ロースト臭はぬけ、柔らかな味わいに。
強烈な個性はないが上品なイエメンに仕上がっている。
エチオピア コンガ・ナチュラル  フレンチ
柔らかく落ち着いた香味です。
濃厚でこのローストに耐えられることが不思議です。

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西村さんの手びねり。
独創的で好き嫌いが明確にでそうです。

 

喫茶店のコーヒーカップは重要な役割をし、店主の趣味や考え方などを表します。
ワインにグラスが重要なようにコーヒーにもカップは重要です。
個人的には、白磁の薄手で硬質のもの(高温で焼いたもの)がデリケートなコーヒーの香味を感じることができると思います。
もちろん楽しみ方は自由ですので、制約などなく陶器でもいいし、マグカップでもいいでしょう。

私は、開業前に有田の窯元を回りカップの選定をしました。
その後いくつかの窯元に依頼しオリジナルなものを作ってもらい今日に至っています。
(たまに気分転換でロイヤルコペンハーゲンも使用しました。コペンは手書きですし、カップとしての機能も優れていると思います。)

但し、同じ柄のものは出来るだけ使用しない方針でしたので苦労をしました。
有田は伝統的に手書きですので、最低でも同じ柄で30客程度は作らないと採算が合いません。
ですから1年くらいの間に新しい柄のものを数客づつ保管しておいてもらい、数十柄そろった時に購入するというやり方にしていました。
それを毎年繰り返し、店で使用すると同時に販売もしましたので、かなりの量を購入してきたと思います。有田の窯元も従来通りの柄ではなく、昔の柄を掘り出したり、新たしい柄を考案したりせざるをえず、私との取引ではそれなりに刺激があったとは思います。

 

陶磁器の地場産業は衰退しています。
その復興にはデザイナーやプロヂューサーが必要なのですが、なかなか難しいのが実情です。
手書きの現場を見ればそれが手間のかかる仕事であることが理解できますが、その工程がわからなければその価値を理解するのは難しいのかもしれません。
1990年代からの喫茶店,珈琲専門店の衰退とともに、コーヒーカップの世界も変わりました。
2000年以降誕生した多くのカフェはカップにはあまり関心を持たなくなりました。

 

陶磁器は好きですので、よく個展などの展示会も行いました。
若手の作家にカップを作ってもらうことが多くなり、機能性の観点からその形状、容量なども細かく指定したこともあります。
彼らも成長し、今では価格も高くなり私も手が出せなくなりつつあります。
こうやってかなり遊びながら仕事をし、様々な方と知り合いましたので、しばらくは私が購入したものを使ってみます。