パパ日記

M&A-3 ピーツコーヒーの光と影

ピーツコーヒーは、2002年東京・青山に1号店を出店し、日本進出をはかります。
この時の日本パートナーは某中華料理店で、来日したピーツコーヒーのCOEに世田谷店で、日本マーケットについて当方が説明しました。
彼はワイン畑出身で話が弾みました。

 
1996年にスターバックスが銀座・松屋裏に出店し、日本で出店攻勢をかける中、スタバよりアッパークラスをターゲットにしたピーツコーヒーは、その知名度の低さゆえに苦戦し、3店舗の出店で撤退してしまいます。
この時期は、まだSCAJ(日本スペシャルティコーヒー協会)が旗揚げされる前で、まだ日本でスペシャルティコーヒーを理解するコーヒー関係者はほとんどいない時代でした。
数年後であれば、日本のスペシャルティコーヒーマーケットも少しは広がっていましたので、ピーツの理解者も生まれ、うまくいったと推測しますのでとても残念です。
 

当時のピーツコーヒーは、全体にダークローストです。
当時のアメリカの浅い味のしないコーヒーに対し、明確な自己主張がありました。
スマトラのマンデリンを深煎りにするなど堀口珈琲と共通するところもありましたし、又鮮度や品質維持のために西海岸以外は出店しない方針を貫いていました。
私がこの仕事を始めたころは、米国コーヒーの良心と品質を代表する会社であったと思います。
世田谷店のお客さんのトニーは学生時代にサンフランシスコにいましたので、ピーツの大ファンで、よく豆をもらいました。

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2002年にもらったピーツの4つの穴のドリッパー

 

 

その後のピーツコーヒーの経営については、調べてみないとわかりません。
2000年の中盤位までは、生豆産地訪問の中でピーツは積極的に良い豆を購入していたと思います。タンザニアのドライミルを見学した際に、ピーツコーヒー分のロットは厳密な最終ハンドピックを取り入れていました。
また、当時日本に衝撃を与えたエチオピアのイルガチェフェナ・チュラルのミスティバレーもピーツと堀口珈琲の2社の仕様でした。
(その後、数年間ミスティバレーレベルのコーヒーは現地生産されませんでしたが、今はこのレベルのナチュラルG-1が作ることができるようになり販売していますので、堀口珈琲のHPでご確認ください)

 

 

ピーツコーヒーは、2015年10月にサードウエーブの象徴的な会社であるスタンプタウン、インテリジェンシアの2社を立て続けに買収しています。
現在ピーツコーヒーは、全米に190店程度あり、かつスーパーなどの食料品店でコーヒー豆を販売しています。もはや、アルフレッドやボールドウィンの理想とした品質へのこだわりはないでしょう。

 

 

そして、そのピーツコーヒーは、すでに2012年にドイツのヨー・A・ベンキーザーの投資グループに784億円で買収されています。彼らは同時に米国のカリブー・コーヒー(米国ミネアポリス本社、スタバに次ぐコーヒーチェーン店)も買収しています。
これらは、コーヒー産業が主要産業として投資対象にあることを意味するのでしょう。

 

資)
全日本コーヒー協会
2012.7 BLOOMBERG.CO.JP
PEETS IN THE PRESS
http://www.cariboucoffee.com/