パパ日記

1970年代の原宿

余りの暑さに….原宿の美容室で初めてバリカンを入れツートップにしてもらいました。
もともと髪質が柔らかく、梅雨時は髪が乱れ整いません。
理髪店では髪のくせを修正できず、1970年代あたりからでしょうか?美容院に行っていました。
当時の美容室は女性の職場で、男性の美容師は少なく、また男性が行くことも例外的な時代でしたので少し恥じらい……..がありました。
最近は、イギリスダンディズム的な高級理髪店も増えていますが肌に合いません。

 

 

1970年当時、原宿は静かな町並みで、竹下通りはさびれた商店街でした。
渋谷から原宿まで散歩しましたが、公園通りの坂はパルコができるまでは「ジロ―」(現在東武ホテルの場所)くらいしか店はなく静かな通りでした。

 

 

その先は、NHK放送センター、代々木公園方面で、代々木競技場を通り抜けると、正面は明治神宮で右折すると原宿を象徴する「コープオリンピア」(当時としては日本屈指の超高級マンション、地下に中華料理の南国酒家、2階の美容室のスタジオVが有名)がいまだそびえ立っています。
2階の老舗美容室のスタジオVは4年程前に突然閉店し(新宿伊勢丹内の店も同じく)、私は行き場を失いましたが、現在はそこで働いていた方達が開店した美容室でカットしてもらっています。

 

 

 

さて、オリンピアから道を下ると、バタークリームのイメージが強い洋菓子「コロンバン」の喫茶が残っています。現在の原宿の交差点角「東急プラザ」のある場所は、これまた原宿を象徴したセントラルアパートがあり、(当時はカメラマンやデザイナーが居を構えていた)その1階には「レオン」というガラス張りのハイセンスな喫茶店がありました。
 

 

1972年に代々木公園(のちに代々木上原まで延長となる)と北千住間に千代田線が開通し、常磐線とつながります。そのおかげで、サラリーマン時代に新宿から中央線で神田までの地獄のような通勤ラッシュ経路が、自宅のある代々木公園駅(代々木八幡と隣接)から大手町へと便利になり座って通勤できました。(内神田と大手町はとなり町)
千代田線は、明治神宮前(原宿)、表参道、乃木坂、赤坂、国会議事堂前、霞が関、日比谷、二重橋、大手町と続き、商業地区、官庁街、オフィス街を一直線に結んでいる便利な線です。

 

 

そして、70年代の終盤でしょうか?ラフォーレが誕生し、原宿は若い人の町に少しづつ変化し1980年代を迎えていきます。

続く