パパ日記

1970年代からのケーキ

1970年以前のケーキは、冷蔵、冷凍の設備が乏しく、生クリームよりも保存性のよいバタークリームが多く見られました。
 

 

昭和のケーキは、様々な老舗で生き延び、繁盛もしています。
成城学園の「アルプス」は、少しハイセンスとなりつつありますが、自由が丘の「モンブラン」の味は昭和そのもの、学芸大学の「マッタ―ホーン」はバタークリーム、神保町の「柏水堂」(昨年閉店してしまいケーキファンに悲報が流れました)のシュークリーム、赤坂の「しろたえ」のチーズケーキ、神田小川町の近江屋洋菓子店のアップルパイなどはなつかしく昭和の時代にタイムスリップできます。
そこには、現在のフランス菓子とは異なる世界があり、昔からのファンに支えられているのだと思います。失礼、六本木の「クローバー」(閉店後ヨックモックのグループに)を忘れてはいけませんね。
まだまだ多くの店があるのでしょうが、私が食べてきたのはこのあたりでしょうか。

 

 

 

その後のケーキの発展は、フランス菓子の歴史となります。
池ノ上のフランス菓子「ピエール」は、1970年頃の開店で、一時はメニューのないフレンチレストランも経営していました。かなり昔のことでフレンチレストランそのものがほとんどない時代で、西麻布や六本木のビストロ全盛期でしたので、前日の予約の際に何を作ってもらおうか?かなり戸惑った記憶があります。井上さんや石鍋さんが独立する前でしょうか?記憶が定かではありません。….。
そのピエールから派生し代々木公園にできたケーキ店が「粉と卵」(移転)で、代々木上原の「ダリオルール」(最近閉店)などもフランス菓子の前線にあったと思います。

 

 

 

1977年開店の成城学園の「マルメゾン」は、堀口珈琲世田谷店の真向かいにも出店しましたが、このあたりの歴史はフランス帰りの第一世代であるオーナーの大山さんに聞けば詳しいことがわかるでしょう。二三味珈琲の二三味さんは、堀口珈琲入社前はマルメゾンで4年間働いていました。
フランスでも食べることのできないような古典的地方菓子のある「オーボンヴュータン」の河田さん(移転/尾山台)やダックワーズで有名な「16区」三嶋さん(福岡市/何度か食べによりました)などが長い歴史を刻んできています。

 

 

そしてその後、大山さんや河田さんから独立した方々が多く出店し、さらにはフランス菓子の新しい世代が次々と生まれ、日本のフランス菓子を発展させてきています。
振り返ってみれば、過去40年以上日本の洋菓子とフランス菓子の歴史とともに食べ歩んできた訳です。

続く