パパ日記

息切れとサードウエーブ

テニスをするようになり少し息切れしなくなりました。
反対になんとなくメディアが競って作り上げたサードウェーブという曖昧な概念は息切れし始めた感があります。
最近はフォースウェーブは何か?などという論調まで出始め、かなり怪しくなりつつあります。
これらはコーヒーマーケットの動きを、現象、流行としてしか見ずに、コーヒーとって最も重要である生豆という本質を顧みることなく論じてきた故と感じます。

 

 

コーヒーの品質と香味に対する革新的な変化は2000年初めからのスペシャルティコーヒーのムーブメントにありますので、サードウエーブはその中の一側面でしかありません。
コーヒーの原材料である生豆に目を向けた動きこそ、コーヒーの長い歴史の中で画期的な出来事で、たかだか10年程度の歴史しかないということを理解すべきでしょう。
この本質を見失ってはコーヒー産業そのものの衰退を招きかねないと考えます。

 

 

スペシャルティコーヒーの歴史は浅くまだまだ理解されにくいところはあります。
ワインが30年の歴史を刻み、その品質や香味の理解度を広めてきたことを思えば今少しの時間がかかるであろうことは想像できます。
コーヒーにおいては、産地の香味の適正な理解には、まだある程度の時間を必要とします。
サードウエーブというような流行的現象は、コーヒーの品質や香味の理解のうえで過渡的な状況ともいえ、今後はより健全な議論の方向に向かってほしいものです。

 

 

コーヒーマーケットの健全性は、コーヒー関係者及び消費者にコーヒーの品質と香味がある程度理解されることにより生まれると考えます。
品質に裏付けられた優れた香味とは何か?が理解されることによりマーケットの中で、品質、香味に伴う適切な価格も構築されるでしょう。

 

 

商品の能書きだけで品質の伴わない商品、今後生まれるであろう機能性表示のみで香味の伴わないような商品、様々な商品群の中で、自分に合った商品をきちんと見分けていくことのできる賢明な消費者の拡大こそが、コーヒーマーケットの成熟を意味し、最終的にコーヒーの消費の拡大につながるはずです。

 

 

コーヒーマーケットには、スペシャルティコーヒのみではなく、汎用品としてのコマーシャルコーヒーも必要であり、缶コーヒーや、インスタントコーヒーも存在します。
それらが品質、香味、機能等できちんと認識されて、商品としての健全性を持つと考えます。
その意味で2000年におけるスぺシャルティコーヒーという革新的なムーブメントがなければ、コーヒーは今よりはるかに不透明で曖昧な商品として存在していたと思います。

 

 

今朝のコーヒー

ケニア カラツ シティ
13-14ですが、まだまだ十分新鮮でいいケニアです。

アフターは甘く、生のプルーンやグレープなどのニュアンスにラズベリーのジャムのような熟した果実感や濃縮感が混ざります。
もう一杯飲みたくなりますね。