パパ日記

コスタリカのコーヒーの変遷-1

コスタリカのイカフェから招かれて各産地を訪問したのは、今から10年前でした。
各産地をバスで回り、一人1テーブルでカッピングさせられました。
2015年ですので、SCAAのカッピングの経験も少ないころでかなり苦労しました。
コスタリカがスペシャルティコーヒーのセールスプロモーションを積極的に始めたころです。

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当時は、大農園と大農協の時代でした。
小農家は農協に加入し、チェリーを持ち込み、大規模な精製工場(ウエットミル+ドライミル)で、乾燥までが行われていました。
乾燥場が狭く、ドライヤーの乾燥も多用されていました。
当時、堀口珈琲では様々な農園の豆を積極的に販売してきました。

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若いですね。
ちなみにこの当時はスマートフォンはなく、携帯も簡単には通じなかったですね。

 

 

コスタリカは環境に配慮した国で、果肉除去に使用した排水は排水池で浄化していましたので、水をなるべく使用しない方向にありました。
したがって、機械でパーティメントのぬめりを取ってから乾燥すれば、水槽での発酵工程が短縮されますので、当時はセミウオッシュなどといういい方で行われていました。

 

 

しかし、コスタリカの高品質豆への大きな転換期は、ウオッシュトからパルプドナチュラルの精製へのトライアルから始まりました。

 

 

 

この方法は初めにブラジルで行われました。

ブラジルはナチュラル(積んだチェリーをそのまま乾燥する)が大部分でしたので、どうしても過完熟や未熟豆などの混入が目立ちました。
香味にも渋みや発酵臭のようなものが出てしまい、品質の安定性にかけていました。

 

 

 

そこで、セラード地区などでは、2000年前後にはナチュラル以外以外の方法が行われました。
水槽で比重選別(過完熟と完熟、未熟を区分する工程)し、更に果肉を除去し、パーチメントのぬめりを機械で除去し、乾燥工程に回す方法です。
当時はセミウオッシュトと呼ばれました。

 

 

 

しかし、このぬめりを取らずにそのまま天日乾燥すると、香味が甘いということが広まり始めます。
これをパルプドナチュラルといいますが、2000年当時にはこのような言葉は日本ではほぼ使用されていませんでした。

 

 

 

このミューシレージはゴム状のぬめりで糖質です。
ですから甘いと感じるのもなんとなくわかる気がします。

 

 

 

この方法が、2000年中盤ころからコスタリカで実験され、ハニーコーヒーと呼ばれるようになります。
2005年頃?にブルマスがCOEで優勝したあたりからでしょうか?
このころから、大手農園や農協の大量生産から、マイクロミルという小規模生産者の豆も流通するようになり、パルプドナチュラルがすこしずつ広まります。
そしてこのようなコーヒーを一部の輸出会社はブティックコーヒーとも呼びました。

 

 

 

2000年後半に徐々にマイクロミルが誕生しますが、この時期はまだ模索の時代といえ、品質の安定するマイクロミルは少数でした。
未熟豆の多さにクレームを付けたことも多々あります。
しかし、今販売しているブルマスは、当時と比べはるかに品質、香味が格段によくなっています。
 

そして現在では、マイクロミルの数は200近く(正確な数は不明)になり、優れたコーヒーが多く流通するようになっています。堀口珈琲ではクレストネスを継続して販売してきました。
現在は、更に多くのマイクロミルの豆を購入しています。

 

 

時間がなく3種のコスタリカについての香味は後で書きます。

続く